南極老人星カノープス


 いまどき冬の季節の話で恐縮だが、毎年2月の夕方、全天で一番明るい恒星、おおいぬ座のシリウスが南中したころ、南の地平線すれすれのところに明るい星がたったひとつポツンと見えることがある。
 この星は、りゅうこつ座の1等星でカノープスと呼び、シリウスについで全天で2番目に明るい星だが、位置が南に低いため、水戸地方(北緯36度)では、この星が南中したときでもその高さが約1度くらいしかないのである。このため、ネオンサインや車のライトなどによって地平線近くの空が明るくなってしまう市内から見ることは難しい。
 私も星に興味を持ちはじめてから、毎年シリウスが南中する時期がおとずれると、南の地平線近くを注意するのだが、いまだかつてこの付近からは見たことがない。
 中国では地平線近くに現れるこの星を「南極老人」または「老人星」と呼び、この星を一度見た者は長生きするという言い伝えが残っている。また中国では南をめでたい方角としたので、老人星が見えた年は国がより治まり、見えない年は戦争が起こると信じていたそうである。
 野尻抱影先生の著によれば、房総から遠州灘一帯ではこの星を「めら星」と呼び、海で死んだ漁夫の魂が化したものとされ、この星が南の地平線に見えると暴風雨になると信じられていたということである。また茨城県にも「上総のおしょう星」という呼び名があり、殺された旅僧の怨念が星となり、天気の変わり目に南の山の上に低く現れるということであるが、ほかにも「おおちゃく星」とか「すれすれ星」といったような呼び名もある。
 神話に登場するカノープスは、トロヤ戦争でギリシャ軍の艦隊の水先案内人をつとめたが、ギリシャへ帰る途中の船の上で死んでしまった。それでギリシャ軍の大将は彼の記念碑を建て、その土地と、この星にカノープスの名をつけたと伝えられている。
 先日、私はある眼鏡レンズメーカーの招待で運よく南の国へ旅する機会を得た。低緯度地方の国なので、カノープスばかりでなく、南十字星や、その他の南天の星星が見られるかもしれないと、心の中でひそかに期待したが、天候と時間の関係で見ることができなかった。
 左の写真(写真は省略します。)は、緑岡高校の天文クラブの生徒が撮影したカノープスの写真だが、この写真のように水戸からも見えることは確かである。南の地平線がよく見える所に住んでいる方は、一度見えるかどうか試してみてはいかがだろうか。もし毎日(2月の夕方頃)見ることができる人がいれば、そうとう長生きできるはずである。


(「ミニマガジン水戸」に20代前半(1976年頃)に連載していた星に関するエッセイ「星雑記−その9−」です。原文のまま。)