鉛筆画5作目(興福寺 金剛力士像)
4月29日(月)
 鉛筆画の5作目が完成しました。4作目が完成したのが3月25日(月)でしたので、今回は約1か月ほどかかりました。ディテールを描き込んだために時間がかかったのかも知れません。

 金剛力士像は、檜による寄木造です。写実的で躍動感にあふれるこの像は、興福寺国宝館にあります。

 昨年の5月23日(火)から24日(木)にかけて、奈良市を訪れた際に、興福寺の国宝館も見学しました。阿修羅像を見るためです。その時に、この像を見たはずなのですが、記憶から抜け落ちていました。まったく覚えていません。何のために国宝館を見たのかと情けなく思っています。

 あと1体ほど、鉛筆で描きたいものがあるのですが、それが終わると一段落です。

 そのあと、本来のアクリル画に戻るか、あるいは鉛筆画を継続するか、悩んでいるところです。















 今日は、薄雲を通しての太陽面の撮影となりました。撮影を終わる頃には雲が厚くなり、太陽には日暈(にちうん)がかかっていました。

 氷の粒による屈折現象です。雨が降る前触れとも言われていますが、雲の流れのシミュレーションを見ると、日付が変わる頃から、明日の正午頃まで雨が降るようです。
豊洲 千客万来
4月28日(日)
 今年2月1日(木)開業した施設です(写真左)。東京都江東区豊洲にある豊洲市場に併設されたもので、飲食・物販・温泉施設で構成されます。

 ここを目的に行ったわけではありませんが、お昼時に立ち寄りましたので、ここで昼食としました。4月24日(水)のことです。雨が降っていましたが、大変な賑わいでした。

 施設の内部は、下の画像のとおりです。

 食事する場所を探すのも一苦労ですが、運よく席が空いている場所を見つけ、そこでバラちらし寿司をオーダーしました。

 銀座にお店を出すレベルのお店でしたので、食材も吟味されており、お米も含めて、とてもおいしいものでした。


























 浅草の浅草寺にも立ち寄りました。平日であり、雨が降っていたにもかかわらず、大変な人手でした。

 前回訪れたのがいつだったか忘れましたが、その時に比べると、明らかにオーバーツーリズム状態でした。早々に引き上げることになりました。

 この日の主な目的は、藤を見に都内のお寺を訪ねたのですが、お寺に入る手前で不覚にもカメラを落としてしまいました。

 ボディーの方は何ともありませんでした。しかしレンズの方の、オートフォーカスが機能しなくなってしまいました。

 だいぶ酷使したレンズですので、廃棄することも考えたのですが、ネットで現在の価格を見て驚きました。今でも販売されているレンズですが、大変高価になっていたので、修理して今後も使用することにしました。

 修理依頼は、サービスセンターに持ち込むか、ネット上から依頼して、自宅まで運送会社のスタッフに取りに来てもらうシステムでしたので、後者を選択しました。

 サービスセンターのある銀座まで出かけていくのが大変だからです。ゴールデンウィークをはさむので、修理が完了して手元に戻ってくるのは、しばらく先になるでしょう。予期していなかった出費となりそうです。

 下の画像は、豊洲の施設で食べたバラちらし寿司です。魚料理は、これでしばらく食べなくても大丈夫です。

大プロミネンス
4月19日(金)
 朝からよい天気だったので、日課である太陽面の撮影を行いました。ただ空のコントラストはいまひとつでした。黄砂の影響が残っているのかも知れません。そして、気流の状態も、今の時期としては悪いものでした。

 太陽面には、黒点がたくさん現れているので、できれば拡大撮影をしたいところでしたが、粒状班が判別できない状況でしたのでやめました。白色太陽像、カルシウムK線太陽像と撮影して、Hα太陽望遠鏡に切り替え、太陽面を見て驚きました。大きなプロミネンスが南半球の東リムに出ていたからです。

 その形状から考えて、急激に変化するようには見えませんでしたので、ゆっくりと撮影を行いました。前述したとおりです。気流の状態がよくなかったため、拡大率をあまり上げないで拡大撮影をしましたが、解像度は予想通りいまひとつでした。

 京都大学飛騨天文台で撮影されている動画をチェックすると、このプロミネンスは夕方にはだいぶ小さくなってしまったようです。動画を見る限り、噴出して宇宙空間に四散していくことはなかったようでした。下の画像の詳しいデータや、今日撮影したその他の画像はこちらをご覧ください。
海鮮丼(三浦市 4月15日)
4月15日(月)
 今日は、自宅周辺の樹木への薬剤散布があるとのことでした。光学機器に影響があるといけないので、晴れていましたが、太陽面の撮影をお休みとしました。

 そのおかげで午前中から時間ができたので、三浦市に海鮮丼を食べに行くことにしました。三浦市に行くのは、最近ではこれが3回目です。片道25キロ、往復50キロの道のりです。ルートは、自宅から朝比奈方面に走り、逗子、葉山を抜け、三浦市に達するというものです。いつも走っている道なので、カーナビは使用しません。

 10時30分に出発しましたが、逗子市内で混雑していたため、現地に到着したのは12時頃でした。その足で、目的のお店に行きました。事前に調べてありましたので、状況はわかっていたのですが、入るのは初めてです。

 お店は建物の2階にあり、外観はかなり古い感じですが、中のつくりはしっかりしていました。ランチとして、海鮮丼とマグロカツの定食を頼みました。出てきた定食を見ると、イメージ通りのものでした。やっと海鮮丼にありつけた・・・と思いました。

 マグロ・カンパチ?・アナゴ・イカ・ホタテ・甘エビ、それに生シラスがのっていました。生シラスは水分量が多く、日持ちしないため、漁獲された当日にしか食べることができないと言われています。その生シラスが海鮮丼の中に、たっぷりのっていたので少し驚きました。

 そのほかに、茶わん蒸しとマグロのカツがつきます。食べてみると、刺身はどれも新鮮で臭みも全く感じませんでした。生シラスも新鮮でおいしいものでした。そしてマグロのカツがこれほどおいしいものだとは思いませんでした。初めて食べました。

 お米は、レストランで出されるものとしては、まずまずでした。ランチセットの値段もさほどではなく、お店も広くてゆったりしていたので、全体的に満足できるものでした。

 レストランの下の1階には、スーパーがありました。前述したとおり、建物が古いので華やかな感じは全くありませんでしたが、入ってみてびっくりしました。海産物の豊富さに目を見張りました。私共の地元のスーパーでは、これだけの品数と新鮮なものは、まず見かけません。スーパーなのに生け簀があり、その中に、クロダイやシマダイなどが泳いでいました。

 野菜も豊富で、しかもその多くが地元産であり値段も安かったです。旬の三浦産春キャベツ、玉ねぎ、ゴボウ、フキなどがずらりと並びます。まとめ買いしてきました。これでしばらくは、買い物に行かなくて済みそうです。

 ガソリン代を配慮しても、まとめ買いすれば、その安さでお相子になりそうです。途中で一色海岸を散歩できることも魅力です。今日は天気がよく、音楽を聴きながらの海岸線のドライブは、大変爽やかで気持ちのよいものでした。一色海岸は引き潮の状態でした。今後は10日に1度程度、ここで食材を買うことを考えています。
ダイヤモンド富士の検証
4月12日(金)
 下で記述した、長者ケ崎における、ダイヤモンド富士が、今年はいつだったのかを別のアブローチで検証してみました。具体的に数値データで以下に示します。

 太陽の高度・方位角の計算は、位置天文学を学ぶ者にとっては、比較的初期の段階で出てくる計算問題です。若い頃は、私共もプログラム化していましたが、いまでは、ステラナビゲータというソフトウエアを使用することにより、たちどころに計算が可能です。使用したステラナビゲータのバージョンは12です。

 下で記述した2011年4月12日(火)に、長者ケ崎で17時55分にダイヤモンド富士が見られたとします。その時の太陽高度、方位角を計算すると次のとおりです。なお、太陽高度に関しては、大気差(水平線近くで、大気の屈折による、天体がやや浮き上がって見える現象)補正済みの値です。長者ケ崎の位置は(国土地理院のマップから駐車場の位置を計測) 東経139度34分50秒 北緯35度15分17秒 標高15m

2011年4月12日17時55分の太陽の高度・方位角
 高度 2°.7 方位角(北から南まわり、すなわち西が270°) 278°.8

2024年4月11日17時55分の太陽の高度・方位角
 高度 2°.7 方位角(北から南まわり、すなわち西が270°) 278°.8

2024年4月12日17時55分の太陽の高度・方位角
 高度 2°.8 方位角(北から南まわり、すなわち西が270°) 279°.1

 いかがでしょうか。この数値から理解できるように、ダイヤモンド富士が見えるとすれば、4月11日ということになります。ただ、実際に見たわけではないので断定できませんし、12日、すなわち本日もダイヤモンド富士が見られるのかも知れません。あくまでも計算結果です。また、不確定要素として、例えば、撮影者のカメラの日付・時刻が正確なものかどうかもわかりません。

 日付・時刻が正確であったと仮定すると、ここから見る富士山頂の仰角は2°.7で、富士山の頂上は、西から北へ約9度行ったところに見えるということになります。・・・こんなことを時間をかけて調べていること自体、サラリーマンの皆さんに比べて暇である証拠ですね。少しは、絵の方に集中したら・・・。
ダイヤモンド富士(長者ケ崎 2024年4月11日) 
4月12日(金)
 長者ケ崎は、横須賀市と葉山町の境に位置する岬です。私共のお気に入りの場所のひとつです。下の4月3日(水)のところで記述したとおり、その日にここに立ち寄りました。その時に、ダイヤモンド富士が4月12日(金)に見られるとのことを知りました。ただし、そこに掲示されてあった写真の日付を見ると、2011年4月12日(火)に撮影されたものでした。

 今年は、うるう年です。2月が29日までありましたので、ここでのダイヤモンド富士は1日早まり、4月11日(木)になるはずだというのが、私共の考え方です。

 現場に到着したのは、午後4時30分頃であり日没までは時間がありました。自宅から富士山が見えていたので、ここでも大丈夫だろうと思っていました。薄雲がありましたが、太陽が肉眼でも楽に認められるような雲で、撮影にはちょうどよいだろうと考えていました。

 日没まで時間があったので、日課である散歩をしました。御用邸の目の前の一色海岸です。いつもの散歩コースです。撮影場所まで戻ってきて、カメラや三脚などのセッティングを始めると、ある方が声をかけてきました。

 「ダイヤモンド富士は、明日だよ・・・」「・・・いやいや、そこに掲示されている写真は、平年に撮影されたものでしょ・・・今年はうるう年だから、1日早まって今日になるはずですよ・・・」 説明をしても理解されていないようでした。

 ここでの富士山頂に太陽が沈む時間は午後5時55分頃です。その時間が近づくにつれて、それまで見えていた富士山のシルエットは、次第に薄くなっていきました。太陽も地平線付近に折り重なる雲の中に入っていきました。やがて雲の隙間から、ほんの少しだけ太陽の光が見えてきました。上の画像がその時のものです。

 日周運動による、太陽の動きを配慮すれば、おそらく富士山頂に太陽が沈むようにも見えますが、いかがでしょうか。翌12日だと、富士山頂の右にずれていくような気がしないでもありませんが、画像には、太陽の輪郭すら見えていないので、はっきりしたことはわかりません。

 太陽が春分点を出発して、黄道面を1周して、再び戻ってくるまでを1太陽年といいます。その長さは365.2422日です。1暦年を365日とすると、その端数0.2422日は4年で約1日となります。そこで、4年ごとに1日のうるう日を置き、365日と366日を繰り返すのがユリウス暦です。しかし、これでも太陽年と誤差を生じます。その誤差は400年で3日となります。そこで400で割り切れない、世紀の変わり目の年(例えば、1700年、1800年、1900年、2100年など)のうるう日を省略する、というのが現在広く使われている、グレゴリオ暦の考え方です。

 富士山頂に太陽が沈む場所は多少の幅があり、1日程度のずれはあるのかも知れませんので、どちらが正しいかは、何とも言えません。今年もう一度、夏の終わりにチャンスが訪れるので、その時に検証してみたいと考えています。(自宅から見えるダイヤモンド富士が、うるう年で1日早まるのは検証済みですが、過去の撮影記録を見ると、それとは別に1日程度のずれはあるようです)。

 水平線を隔てて、対岸に富士山が見えるこの場所は、ふだん、写真に撮影しても美しいと思います。ただ一方で、富士山が見えてるチャンスがさほど多いわけではありません。富士山が見えること、太陽が雲に隠れないで、山頂に沈むことなど、条件がそろわないと、この場所でのダイヤモンド富士は見えません。現場に居合わせた方の話では、過去10年以上、見えていないということでした。

 そのあと、三浦市のスーパーマーケットまで足を延ばしました。閉店前の時間だったので、お総菜やサンドイッチなどが40パーセント引きで売られていました。ラッキー。

 うるう年の詳しい話は、このブログの2020年2月19日(水)のところで、「うるう年(ユリウス暦とグレゴリオ暦)」と題して記述しています。こちらです。興味がありましたら、ご覧ください。
日食病
4月10日(水)
 表題の言葉は造語です。皆既日食を一度見た人は、この世のものとは思えないその壮大な美しさに感動し、また見たくなる気持ちにさせられます。症状が重くなると、何度も皆既日食の遠征を繰り返すようになります。この症状を治す薬はありません。

 国内での、日食観測遠征の回数の最も多い観測者(日食ハンターとも言います)は、私共の古くからの星仲間でもある方です。今年の年賀状にも、今回の日食に遠征すると書かれていました。

 下の4月9日(火)のところでも記述したとおり、皆既中に見られる太陽コロナは、写真に撮影すると、内部コロナが露出オーバーでつぶれてしまい、肉眼で見た感じにはなりません。そこで、露出を変えて何枚も撮影し、画像処理の時点でグラデーションマスクとともにそれらを合成し、肉眼で見た印象に近づける方法があります。この方法を開発した方も、私共の古くからの星仲間でもあります。今では、世界中の観測者がこの方法を応用して、太陽コロナの画像処理に取り組んでいます。

 私共は、パーソナルコンピュータが世に出てくる前から、日食の計算に取り組んできました。任意の地点において、太陽が何時から欠け始め、どのように日食が進行していくのかを、計算によって導くものです。小数点6桁程度の数値を、関数電卓で計算すると、1か所の地点のデータを計算し終わるのに、約1週間かかります。

 その計算式は、後にパーソナルコンピュータでプログラム化しました。たちどころに計算結果が出てくるので、その威力に驚かされたものです。年を取ってから、それらのプログラムと計算のノウハウを、天文関係のソフトウエアを開発する会社に提供して誕生したのが、エクリプスナビゲータというソフトウエアです。

 このソフトは、バージョンアップを繰り返し、現在では、日食の進行状況に合わせて、カメラでその様子を自動撮影できるまでに機能がアップしました。ユーザーは、観測機材を操作することなく、皆既日食の様子を双眼鏡などで観測することができるようになりました。各自が、若い頃からそれぞれの視点で皆既日食に取り組んできたわけです。

 この症状に治療薬がないということは、年々、この病にかかる方が増えているということになります。今回、アメリカでもかなりの人々がこの病にかかったのではないでしょうか。ちなみに、私共は今回、遠征を我慢しましたので、この病から抜け出したと考えていました。

 しかし、テレビなどで今回の盛り上がりの様子を見て、中継される皆既日食時の周囲の暗さなど、皆既日食のその場の雰囲気を思い出してしまいました。病気が再発してしまったように思いました。なぜ、その場にいなかったのだろうと、少し後悔しています。

 さて、次の皆既日食ですが、2026年8月13日(木)にグリーンランド・アイスランド・スペインなどで皆既の継続時間の最大2分18秒、2027年8月2日(月)にスペイン、モロッコ、アルジェリア、エジプトなどで継続時間の最大6分23秒、2028年7月22日(土)にココス諸島、オーストラリア、ニュージーランドなどで継続時間の最大5分10秒と、とても魅力的なものが続きます。それぞれの皆既帯を地図上で確認しながら、頭の中は、世界中を駆け巡っています。

 体の健康の状態次第ですが、行くかどうかも含めて、頭の片隅に置いておこうと思うようになりました。ここ数日間の心境の変化です。
皆既日食(北アメリカ 4月8日現地時間)
4月9日(火)
 横浜は、朝から本降りの雨です。風も強い大荒れの天気です。雲の流れのシミュレーション動画を見ると、午後になれば晴れ間も見えてくるでしょう。満開の桜の花びらも散ってしまいそうです。花散らしの雨ですね。

 現地時間の4月8日(月)、日本時間では9日(火)の未明に、メキシコ・アメリカ合衆国・カナダ東部などで皆既日食を見ることができました。ネット上には、ライブ中継されたこの現象の様子が残っており、それを見る限り、コロナの形は極大型で全方向に広がっていたようです。

 ライブ中継のカメラで撮影されたものは、まるで目玉焼きのように、内部コロナがべたっと白飛びしていますが、肉眼で見るそれは、いくつもの流線が広がり、それはそれは美しいものです。日本からの観測者が帰国されて、画像処理されたコロナの画像がアップされれば、全貌がよく理解できるでしょう。大都市も、この皆既日食帯の中に入っていたため、各地で大変な盛り上がりを見せたようです。夜のニュースが楽しみです。

 私共が最後に皆既日食を見たのは、2017年8月21日(月)でした。場所は、合衆国のアイダホ州ドリッグスというところです。皆既の継続時間は2分16秒と、比較的短いものでした。それに比べると今回の日食は、皆既の継続時間が最長で4分30秒ですから、大きな皆既日食といってよいでしょう。

 専門的な話になりますが、今回の日食のサロスは139番です。このサロスの次の日食は、世界時の2042年4月20日(日)(以降全て世界時)の皆既日食で、東南アジアや日本近海を通過します。

 今回の次の日食は、2024年10月2日(水)に南太平洋・チリ・アルゼンチンなどで見られる金環日食です。次の皆既日食は、2026年8月12日(水)にグリーンランド・アイスランド・イベリア半島などを通過するものです。アメリカ本土で次の皆既日食が見られるのは、2044年8月23日(火)になります。サロス126の日食で、グリーンランド・カナダ・合衆国などで見ることができます。皆既の継続時間の最大は2分4秒です。

 なお、サロスの説明についてはこちら、日食の種類に関する説明はこちら、そして、前回アメリカで見られた皆既日食のレポートは、こちらにあります。興味のある方はご覧ください。
花見第2弾(段葛 4月8日)
4月8日(月)
 このところ、曇り空の毎日です。時には小雨がパラついたりします。太陽面の撮影はこのところ休んでいます。その一方で桜は満開です。夕方から鎌倉の鶴岡八幡宮に出かけました。
 
 段葛の桜を撮影するためです。昼間の桜は、以前に撮影したことがあります。こちらこちらです。鶴岡八幡宮の参道である若宮大路の中央に、盛り土された参道があり、これを段葛と言います。ここに1918年頃に桜が植えられましたが、2014年から2016年にかけて、その桜の植え替えが行われました。植え替え直後には、桜が咲いても見事なトンネルにはなりませんでした。

 しかし、最近では桜が成長してきたため、満開の時期には、以前ほどではないものの見事な光景となっています。昼間に車で通過する際によく見ていますが、今回は夜桜を見に行きました。桜を見ることはもちろんですが、夜桜の撮影が主な目的です。

 予想していた通り、おびただしい数の花見客でした。そしてその約半分が海外からの観光客です。参道はさほど幅が広くありませんので、それらの人々をカメラの視野外に出るまで待っていることは物理的に不可能です。撮影後、自宅に戻り画像処理の時点で、フレーム内の人の数を最小限に目立たなくすることが、この写真の最も難しい点でしょう。

 その点を意識しての撮影でしたが、納得する画像は得られませんでした。画像処理の時点でも期待はしていませんでしたが、何とか2枚をアップできるレベルで処理しました。上の画像がそれです。

 デジタル一眼レフカメラで長時間露光をしていますが、観光客の皆さんの最新のスマホで手持ち撮影したほうが、かえってよい写真が撮れるのではないかと思った次第です。以前から、一度行かなくてはと思っていた段葛の夜桜ですが、やっと行くことができました。よかったです。

 さて、あと数時間後に、アメリカでは皆既日食が始まります。都市部を通過したりするので、大変な盛り上がりのようです。晴れるといいですね。テレビで前日の様子を見ていると、行けばよかったとも思ってしまいますが、テレビで配信されるのを楽しむつもりです。
花見(小田原城 4月5日)
4月5日(金)
 事前の雲の流れのシミュレーション動画を見る限り、今日の天気は1日中曇り空だろうと考え、昨夜のうちから出かけるつもりでいました。小田原城で花見をするためです。あとふたつの目的がありました。小田原で新鮮な魚料理のランチを食べること、そしてもうひとつは、このブログ「星雑記」の3月1日(金)のところでレポートしたパン屋さんで、あんぱんを買うことです。

 午前中の比較的早い時間に出かけました。朝から雨でした。そして気温が低めでした。11時前に小田原に到着しました。早速パン屋さんに立ち寄り、あんぱんを購入しました。7種類を2個ずつ。合計14個です。結構な代金を支払いましたが、おいしさはおそらく全国でもトップクラスでしょう。味は多少落ちますが、冷凍して自然解凍しながら少しずつ食べるつもりです。

 その足で、小田原城に向かいました。駐車場を探しましたが満車のところが多く、仕方なく城からは少し離れますが、臨時駐車場の方に車を止めました。普通の乗用車であれば、何とか止められるような駐車場でも、私共の車はそうはいきません。車自体が大きいので場所を選ぶためです。

 小田原城の桜は、8分咲き程度でしょうか。明日の土曜日は大変な混雑になるのではないでしょうか。城の天守や石垣を背景にした桜は、自宅周辺で見る桜と同じ品種であるにもかかわらず、とても趣があるように感じました。天気は悪かったのですが、見に来てよかったと思いました。

 小田原駅近くの魚料理店でランチとしました。刺身とアジフライがセットになった定食です。運ばれてきてから、ご飯を食べた瞬間に思ったことは・・・お米がまずいな・・・ということでした。私共が日常的に食べるお米(食材は質素ですが、米だけはおいしいものを食べるようにしています)に比べると、3ランクくらい下のレベルでした。

 刺身はさすがに新鮮でおいしいく感じました。アジフライは、半生の状態で出てきました。ころもはしっかり揚がっていたので、新鮮であることを強調するものなのでしょう。しかし、アジフライ特有の中身がふわっとして、サクサクしているような食感は、まったくありませんでした。

 これで、これだけのお金を支払わなくてはいけないのか・・・と思いながらお店を出ました。たぶん二度と行くことはないと思います。行ってみないと、おいしいかどうかわからないので、機会があれば再び、小田原でおいしいお店を見つけてみたいと考えています。

 帰りに、以前、移動式プラネタリウムの出張投影の仕事で大変お世話になった、小田原ダイナシティに立ち寄りました。市内にある大型のショッピングセンターです。ハードウエアを設営した現場などを見ましたが、当時のままでした。大変懐かしく思った次第です。

 本来であれば、花見よりも、直前に迫った4月8日(月)(現地時間)の皆既日食の方が大事なのですが、2月28日(水)のところで記述したとおり、今後、日食ツアーには参加しないことにしています。日食の映像はテレビで見ることとし、機会があれば、近日中にまたどこかへ花見に行きたいと思っています。
関市まなびセンターでの今年度の投影スケジュール
4月4日(木)
 このブログ「星雑記」において、昨年の最後の2023年の総括(12月29日)のところでも触れたとおりです。一時は引退を決意したプラネタリウム解説者としての仕事でしたが、諸般の事情を配慮して継続することにしました。

 古希を過ぎてからは、体の老化の方が加速しているように思います。具体的には、朝起きるときに体が思うように動かなくなりつつあります。歩く速度も遅くなってきたように思います。一番困っているのは、目の方です。3月19日(金)のところで記述しましたが、その後も改善が見られません。本来はクリアーに見えなくてはいけない片方の目の視界を、異物が遮っている感じです。

 それにもだいぶ慣れてきましたが、目が疲れるようになってきたことがこれまでとは異なります。日常生活や車の運転等には差し支えありません。プラネタリウムで投影される星空は、バックグラウンドが漆黒なので、逆に異物が気にならないと思っています。大丈夫でしょう。

 令和6年度のプラネタリウムの投影スケジュールが、関市まなびセンターの方から発表されましたので、興味のある方はご覧ください。こちらです。今年度の投影日、テーマ解説の内容、観望会など、具体的なものはpdfファイルとしてダウンロードできるようになっています。

 紫金山・アトラス彗星が9月末から10月にかけて明るくなりそうなので、今回はその頃のテーマ解説として、2か月連続で彗星について取り上げます。現在今年度の、投影のテーマ解説部分、市民天体観望会向けのコンテンツ制作中です。

 2012年5月から開始したまなびセンターでの投影です。今年5月から13年目に入ります。プラネタリウム解説者としてのキャリアは51年をこえました。今後、どこまで投影ができるのかわかりませんが、可能な限り、長く続けられるように頑張りたいと思っています。
三浦市へドライブ
4月3日(水)
 朝から曇り空でしたが、雨に変わりました。雲の流れのシミュレーションを見る限り、日付が変わる頃まで雨が止まないようです。近所の桜は、現在5分咲き程度です。週末か、来週の早い時期に満開になりそうです。

 昨日は午後から、おいしい魚を食べようと考えて出かけました。時間があったので、途中でよく行く長者ヶ埼(横須賀市と葉山町の境にある岬)に立ち寄り、御用邸の目の前の一色海岸を散歩しました。上の画像は、その途中で見た江の島方面の景色です。曇り空であったため、富士山は見えませんでした。

 そこから、さらに横須賀市方面に車を走らせ、2019年に開店した三浦市のスーパーマーケットに立ち寄りました。三浦市産の春キャベツを含めた新鮮な野菜やおさかなを買うことができましたので、よかったと思っています。

 そのあと、魚料理店を探したのですが、すでに暗くなっていたため、見つけることができませんでした。仕方がないので、再度スーパーに立ち寄り、お寿司などを買って戻ってきました。私共の近所のスーパーで買うお寿司などと変わりません。残念に思いました。

 自宅に戻り、調べなおしましたが、お店のすぐ近くを行ったり来たりしていたようでした。今度は、昼間の明るいうちに行ってきたいと思っています。年を取ると、暗いところでの目の解像度が著しく落ちるようです。さらに車を運転しているので、目的の場所を見つけることができなかったようです。
ポストフレアループ
3月31日(日)
 このところ活発に活動していたNOAA13615という黒点群が西没しようとしています。日本時間の31日(日)、すなわち今日の午前6時頃にM9.4という、フレア(太陽面爆発)としては最大規模のXクラスに近い、中規模フレアが発生しました。上の画像は、それに伴うポストフレアループです。フレア発生後によくみられるループ状のプロミネンスです。

 この黒点群は昨日から今日にかけて、太陽の自転に伴い、地球の方向から見て太陽面の西の縁にやってきていました。活動が活発であったために、この場面でフレアが発生すれば、ポストフレアループが見られるだろうと、昨日から注目していました。昨日撮影した画像には、顕著なプロミネンスは見えませんでした。

 今日、Hα太陽望遠鏡で眼視で見た時に、その場所でプロミネンスが吹きあがっているように見えましたので、拡大撮影は行うつもりでいました。装置をセットして、パソコンのモニターで見た時に驚きました。眼視で見た時よりも、ディテールがよく見えるので、ポストフレアループの構造がよくわかりました。

 いくつかのパターンで撮影した画像をアップします。この時期としては、気温が高く気流もさほど悪くなかったので、強拡大をしても像の乱れはさほどではありませんでした。太陽活動が活発になるにつれて、これからもこのような現象がみられるでしょう。

 最近はタイミングが悪く、この現象を見逃してしまうことが多かったのですが、撮影できてよかったです。その他の画像やデータは、こちらをご覧ください。
紫金山・アトラス彗星(C/2023 A3)
3月29日(金)
 昨夜から今日の午後2時頃まで、横浜は春の嵐でした。強風が吹き荒れていましたし、雨もかなり降っていました。日課である散歩も控え、天気が回復した夕方に出かけました。

 昨日から、表題の彗星について調べていました。もちろん、今後のプラネタリウムの投影で取り上げる可能性があるためですが、同時にどこへいって撮影するかも検討しています。

 表題の彗星は、2023年1月9日に中国の紫金山天文台で発見されたのち、2023年2月22日に小惑星地球衝突最終警報システム(略してATLAS)によって検出されました。両方の観測所の名前から紫金山・アトラス彗星と名付けられました。

 紫金山天文台は、中国南京市にあります。1987年9月23日(水)に金環日食を中国の南通市(長江に面しており、対岸には蘇州や上海が位置する)で観測しましたが、その際に、南京市まで足を延ばし、同天文台を見学したことがありました。多くの彗星や小惑星を発見したことで有名な天文台です。

 一方の南アフリカの小惑星地球衝突最終警報システムは、地球近傍の小天体を、地球に衝突する数周週間前から数日前に検出するためのシステムです。NASAの資金提供を受け、ハワイ大学が開発・運用をしているシステムです。

 ハワイ諸島に2つの観測所、チリに1か所、そして南アフリカに1か所で合計4台の望遠鏡で構成されています。自動的に夜空を掃天し、移動していく天体を捜しています。地球近傍の小惑星を1,005個、地球に衝突する可能性の大きな小惑星を95個、彗星を87個、超新星を20,722個これまでに発見しています。

 今年9月27日に太陽から彗星までの距離が最も近くなります。これを近日点通過と言いますが、その距離は、太陽・地球間の距離を1AU(天文単位)とすると、0.39AU(約5,855万キロメートル)まで接近することとなります。これは金星の軌道の内側です。

 日本国内では10月中旬あたりに、順調にいけば、尾を引く姿を見ることができるかも知れません。今日は、その軌道図や見え方に関する解説図を作成していました。今後、この彗星については、機会があればさらに詳しく紹介していきたいと考えています。

 現在、ポン・ブルックス彗星(12P/Pons-Broks)が比較的明るく(ただし双眼鏡がないと見つけるのは困難でしょう)なっているのですが、4月に入ると、さらに明るくなると予測されているので、こちらの彗星も楽しみです。 
鉛筆画4作目(四天王立像(多聞天)/東大寺)
3月27日(水)
 東大寺の戒壇堂(かいだんどう)の四隅に安置される四天王像の一体です。像高164.5センチの塑像で、西暦755年(天平勝宝7年/奈良時代)に造立されたとされています。国宝です。

 中国の古い時代の甲冑をまとい、目を細めた厳しい表情で、邪鬼を踏みつけ北方を守っています。手には宝棒と宝塔を持っています。

 私共のお気に入りの仏像のひとつですが、まだ見たことはありません。今年のGW後のどこかで、再び東大寺に行って見てきたいと考えています。じっくりと描き込みました。鉛筆の走らせ方も次第に理解できるようになりましたが、細かい部分の描写が今後の課題です。
岐阜県に落下した隕石について
3月26日(火)
 昨日から今日にかけて、横浜は本降りの雨です。特に今日は、低気圧が接近しているせいで、日付が変わる頃まで雨のようです。卓球練習や散歩に出ることもなく、家でじっとしています。もちろん、太陽面の撮影もありません。

 鉛筆画による作品も、昨日4作目が終わったところです。定着材をスプレーして終わりなのですが、天気が悪いので明日作業しようと思っています。作業が終わった時点で、アップする予定です。

 朝から、表題の件で、調べていました。調査しきれない部分もあるのですが、以下に記述しておきます。

美濃隕石
 1909(明治42)年7月24日(土)午前6時前に、岐阜市・美濃市・関市・山県市に落下した隕石雨です。白煙を引く火球が目撃されています。29個の隕石が回収されました。その合計の重さは14.29kgです。最大の隕石は約4kgで藍見号と呼ばれ国立科学博物館に、その他の小片を含めて展示されています。石質隕石でL6に分類される普通コンドライトです。

羽島隕石
 1910(明治43)年頃に羽島市上中町に落下したとみられます。H4に分類される石質隕石です。重さは1.11kgです。その他の詳細は不明です。

坂内隕石
 1913(大正2年)4月13日(日)に揖斐郡坂内村(現在は揖斐川町)で発見された重さ4.18kgの隕鉄です。当時、村の若者4人が村境の峠で萱(かや)を刈っていた時に、蛇が現れ、追い払おうと持ち上げた石がとても重たく、普通の石ではないと考え自宅に持ち帰ったそうです。その後、隕鉄であることが判明しました。実物は行方不明になっているとのことです。元 国立科学博物館の村山定男先生(現役時代、隕石のことなどを含めて大変お世話になりました)の手紙をもとに、ヘキサヘドライトではないかと考えられています。

笠松隕石
 1938(昭和13)年3月31日(木)午後3時頃に羽島郡笠松町の民家に落下した隕石です。屋根を突き破り床板を突き抜け、その下の梁に食い込んでしまったようです。1988(昭和63)年6月29日(水)に笠松町指定文化財(天然記念物)に指定されました。石質隕石(古銅輝石カンラン石球粒隕石)で、重さは721gです。磁性はないということです。笠松町に保管されているようです。

長良隕石
 2012(平成24)年10月頃、岐阜市内の住宅街にある栗畑で発見されました。隕鉄でありIABという種類に分類されます。6.5kgです。後に、岐阜市科学館で展示されているこの隕石を見学した岐阜市民が、同じような石(重さ9.7kg)の情報を岐阜市科学館に寄せました。前述の発見場所のすぐ近くで見つかったもののようです。同時に落下してきたものと考えられています。

 隕石の記録は、調べてみると不確定な要素も多く、調べて分かったことを上にまとめました。勘違いしている点がありましたら、ご容赦ください。今後、隕石に関して、プラネタリウム投影時の解説に使用するためのメモとしてまとめたものです。この部分の解説はおそらく3分もかかりませんが、調べるとなると1日がかりです。
電源スイッチの接触不良
3月24日(日)
 私共が現在主力として使用しているパソコンは、ノート型でモニターの大きさが15インチ、解像度が4Kです。太陽面の撮影を始め、これで私共の取り組みのほとんどができます。

 オペレーティングシステムはWindows 11 proの最新バージョンです。購入時はWindoss10 proでしたが自動更新で、ある時点で今のバージョンとなりました。

 それはそれでよかったのですが、11にバージョンアップされた時点で、それまで使用していたソフトウエアのひとつが作動しなくなってしまいました。

 原因を調べましたが、何をやってもダメでした。プレゼンテーション用のソフトウエアです。今は販売もされていませんし、サポートもされていません。

 このソフトウエアをノートパソコン上で動かすことをあきらめました。しかし、プレゼンテーション用のソフトが動かないと、まだまだ困る場面がたくさんあります。

 その一方で、それまで主力機として使用してきたタワー型のパソコンには、そのソフトウエアが入っているので、プレゼンタテーション用のコンテンツを作る際には、今ではそのタワー型を利用しています。

 普段は使用しないので、押し入れの中にしまってありますが、最近になってコンテンツを作る必要が出てきたので、引っ張り出してモニターなどを接続して使えるようにしました。

 このタワー型のパソコンは、問題をひとつ抱えています。それは電源部です。接触不良を起こしているらしく、電源スイッチを何度回しても、OSが立ち上がらない傾向にあります。何度かやっているうちに電源が入るのですが、最近では、そのトライする回数が一段と増えてきました。

 この状況では実用にならないので、思い切って、本体を分解すことにしました。電源スイッチがあるのは、本体のフロントパネルですが、その分解の仕方がわからなかったので、ネット上で調べました。手順の書かれているページを見つけたので、それに沿って分解しました(写真左)。ちなみに、タワー型パソコンを分解することには慣れています。

 分解してわかったのですが、電源スイッチの裏側に、リード線などはなく、小さい短いレバーになっていました。それで何を押しているのかが不明でしたが、本体側を見ると、そのレバーが押すスイッチがありました。

 それを押してみると、やはり接触不良を起こしているようでしたが、数回でOSが立ち上がってきました。何度かやってみましたが、同じ傾向でしたので、パネルを外したまた、使用することにしました。

 いずれは、この電源スイッチもダメになるような気がしますが、その際には、さらに分解して対策を考えようと思っています。ちなみに、このタワー型パソコンを、自動更新してしまうと、ノート型と同じ症状が出た際に困るので、ネットワークには接続しない設定としてしまいました。

 パソコンには、トラブルがつきものですが、このような中途半端なものが、世の中を支えていると思うと、不安になってきますね。

 プレゼンテーション用に新しいソフトウエアを購入するという方法もあるのですが、使い勝手がわかっている現在のソフトウエアで充分ですので、それは最終的な手段にしようと思っています。
湘南海岸ドライブ(江の島から鎌倉 3月22日)
3月23日(土)
 昨日は、朝早くから午前中にかけて用事があったため、天気は良かったのですが、太陽面の撮影はお休みとしました。

 だいぶ時間がかかってしまった用事だったので、お昼は外食としました。

 春の到来を思わせるような、風もない穏やかな天気でした。このまま自宅に戻るのは、もったいないと思いました。

 お昼を済ませると、そのまま大船駅方面に車を走らせました。

 湘南モノレールに沿って走り、鎌倉山を経由して江ノ島の前の道路に出ます。

 そのまま鎌倉方面まで、国道134号線を走りました。

 このエリアは、平日にもかかわらず、観光客でにぎわっていました。

 特に、江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅の周辺にいるのは、ほとんどがアジア系の外国人観光客でした。鎌倉高校前駅の近くにある踏切もです。

 そのまま鎌倉方面に走ると、ハワイアン料理で有名な珊瑚礁本店など、テレビなどにもたびたび登場するレストランがありますが、それらも観光客でにぎわっていました。

 鎌倉で左折し、若宮大路を経て、北鎌倉経由で自宅に戻りましたが、とても良い気分転換になりました。

 午後遅くではありましたが、久しぶりに卓球練習に取り組みました。まだ、本調子とは言えませんので、徐々に戻していこうと思っています。

 写真は、上が江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅、下が、その近くにある踏切の様子です。助手席から、パートナーに撮影してもらいました。

 最近では、車を動かすのは、10日に一度程度ですが、ガソリンが減ってしまったので、給油をしてから自宅に戻りました。

 ガソリンの量は、半分以下に減っていましたので、朝のうちにATMでおろしたばかりの、福沢諭吉先生があっという間に出て行ってしまいました。

ゴジラ-1.0(109湘南シネマズ 神奈川県藤沢市 3月20日)
3月21日(木)
 春分の日の昨日、109湘南シネマズで表題の映画を見てきました。やっと見ることができました。以前から気になっていた映画ですが、見たいみたいと思っている間に、アカデミー賞の視覚効果賞を受賞しました。見に行きたい気持ちが強くなり、祝日で混雑しているだろうと思いましたが、行ってきました。

 前回、映画を見たのが2023年2月13日(月)でした。その時に見たのは、アバター:ウェイ・オブ・ウォーターでした。以来、約1年ぶりの映画です。109湘南シネマズは、テラスモール湘南という、JR辻堂駅北口直結のショッピングモールの中にあります。映画の終了時間は、夜9時30分頃です。電車を乗り継いでいくと、何時になったら家に帰りつくかわからないので、ここで映画を見るときには、いつも車を走らせます。

 映画の前に、ショッピングモール内のスーパーに立ち寄り、食材を買い求め、その後、フードコートで早めの夕食を食べてから、映画館に入ります。夕食は恒例のインドカレーのセットですが、本場の味でとてもおいしいものですので、楽しみにしていました。予想通りのおいしさでした。

 映画館に入ると、さほどの混雑ではありませんでした。通常は、これから上映される映画の予告編などが5分から10分程度流れるのですが、今回はすぐに始まりましたので、少し驚きました。特攻機が島に着陸するシーンからでした。

 あっという間に、映画の世界に引き込まれてしまいました。第2次世界大戦末期から戦後の東京が舞台です。焼け野原となった東京の町並みを表現するのは、ALWAYS 三丁目の夕日等でノウハウを蓄積されているので、お家芸といってもよいのではないでしょうか。

 私共のような素人の目には、どのシーンが実写で、どのシーンでCGが使用されているのか、すでに区別がつかないレベルです。戦艦の甲板に搭載されている予備のボートのカバーが、風でなびくような細かい部分まで、神経を注いで制作されているようでした。それらの場面には、ニコンの20×120双眼望遠鏡(おそらくⅡ型で私共も所有しています)が登場するのですが、その形状や質感までもが見事に再現されていました。

 映画に登場する出演者たちは、いずれも、他の映画やテレビドラマに引っ張りだこの俳優さんたちでしたが、その演技にも見応えがありました。息をつく暇もなく、あっという間に終わってしまった感じです。前述のアバターは、キャラクターが独創的で色彩も派手であり、質感も見事なものでした。それに比べると、色調は比較的地味ですが、戦後の東京を表現するのには、それが適しているためでしょう。

 単なる怪獣映画ではなく、背景にある戦争を体験した人間の葛藤なども描かれ、ストーリー展開、映像のクオリティー、音楽のどれをとっても見事なものでした。アカデミー賞を受賞するわけだな・・・と思った次第です。

 映画終了時に、アカデミー賞の受賞を記念しての、舞台挨拶がありました。どこかの映画館で行われているようでしたが、この映画を公開中の館に配信されたようです。事前に収録されたものだろうと思っていましたら、当日に韓国で行われた、メジャーリーグのオープン戦のことをコメントされていたので、当日のもののようでした。監督や、映画出演者数名によるやり取りは、とても楽しいものでした。久しぶりの映画に満足しました。

 映画を見ている間でも、目の方が気になりました。少し疲れました。普段の生活に支障はないようですが、今までより目が疲れやすいのは避けられないようです。帰りは遅くなりましたが、夜の車の運転時は、どうなのだろうと気になっていました。運転に関しては、問題ないことがわかり、一安心です。
目に違和感
3月19日(金)
 数日前から突然、目に違和感を感じるようになりました。具体的な症状までは記述しませんが、しばらく様子を見ていても改善する気配がありませんでした。

 何事もなければよいのですが、このまま放置しておいて、網膜剥離とか、最悪の場合失明に至る・・・などということがあると、取り返しがつきません。そして、プラネタリウム解説者としての生命もそこでおしまいになるだけでなく、イラスト制作も太陽面の撮影などもできなくなってしまいます。

 先日、眼鏡をこしらえたお店の3階が眼科になっています。2月13日(火)のところでレポートしたとおりです。朝からその眼科に行くことにしました。到着すると、すでに患者でいっぱいでした。中には、新型コロナウイルス・ワクチン注射の方々も含まれていたようでした。

 かなり待つことを覚悟しました。前回と同じように、検眼、医師の診察へと進みますが、症状が症状なので、今回は眼底検査も含まれました。そのために、瞳孔を大きく開く必要があるそうで、目薬を1滴、スタッフが両眼に点してくれました。5から6時間はまぶしい状態が続きますので、帰るときには気を付けてください。とのことでした。

 眼底検査終了後に、再び医師の診察を受けました。その時には何を告げられてもよいように、すでに覚悟を決めていました。「加齢によるものです。治りません。そのうち慣れるでしょうから、これから先、我慢してそれに付き合ってください」。・・・ずいぶんと冷たい言い方をするものだな・・・と思いました。患者さんであふれていたので無理もないでしょう。

 いろいろ質問したかったのですが、それ以上聞くな・・・というような態度に見受けられたので、黙って病院を出ました。違和感があるのは煩わしいのですが、仕方がありません。軽いショックを受けましたが、それと同時に、深刻な目の病気でなくてよかった(実際にはこれでも深刻なのですが・・・)とも思いました。

 診察料が、思っていたほどでもなかったので、帰りに、駅前のショッピングモールに立ち寄り、お昼と夜の両方のお弁当を買って帰りました。料理を作る気分ではありません。

 病院から表に出た時に、あまりのまぶしさに、視野全体が白っぽくオブラートに包まれているような感じでした。さながら、ピントがいまひとつはっきりしない、コントラストの低い望遠鏡を見ているような感覚でした。これでは、気をつけて帰ってくださいと言われるわけだな・・・と思いました。このブログをアップしている時間帯には、瞳孔の方は、だいぶ元の状態に戻っています。

 家に帰ってきて鏡を見てびっくりしました。瞳孔が開くとこんなふうになるのか・・・と思った次第です。遠征先で、夜空を見ていると、瞳孔が開きますが、おそらくこのような状態になっているのでしょう。夜間・天文用の双眼鏡は、その瞳孔が最大限に開いた状態に合わせて、レンズの口径に対する倍率が設定されています。双眼鏡を接眼部側から見るとわかります。これを瞳径(あるいは、ラムスデンの円)と言います。まさに、その大きさまで瞳が開いていました。

 そろそろ終活をしなさい・・・と言われているような気がしました。どこかのタイミングで行わなくてはいけないとは思っているのですが、人生の終わりがいつなのかわからないので、逆算して始めるわけにもいきません。まだ大丈夫だろうとも思ってはいるのですが、体の状態を見ながら判断したいと思っています。
祝・アカデミーショー受賞
3月15日(金)
 日本時間の3月11日(月)にアメリカ・ハリウッドのドルビーシアターにおいて授賞式が行われました。日本の作品では「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞を、「君たちはどう生きるか」が、長編アニメーション賞を受賞されたのは、ニュースなどで承知のとおりでしょう。

 視覚効果賞における監督の受賞は、「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック以来、55年ぶり史上2人目。日本の長編アニメーション賞の受賞は、同じく宮崎駿が監督をつとめた「千と千尋の神隠し」以来21年ぶり2回目とのことでした。どちらも大変にすごいことですね。
 
 特に聖域とされていた視覚効果賞においては、ハリウッド外からの受賞は難しいと言われていた部門であり、その扉をこじ開けたことは、大変なことだと思います。スター・ウォーズ、アバター、タイタニックなどの名作と肩を並べたということでしょう。久しぶりに明るいニュースに触れ、元気をもらったように思います。

 前置きはこのくらいにして、山崎貴監督と対談したことがありますので、その時のことを以下に記述します。

 今から約14年前の2010年10月22日(金)に、東京渋谷のNHK放送センターにおいて、移動式プラネタリウムの投影を行いました。お客様は3人です。投影をご覧いただいたのは、松尾貴史(放送タレント・エッセイスト)、佐藤寛子(タレント・女優)、そして山崎貴(ALWAYS 三丁目の夕日等 映画監督)です。肩書は、当時の放送の告知の時のものです。

 NHK-FMの「トーキング ウィズ 松尾堂」という番組の中での対談です。東京渋谷にあるという設定の、老舗書店「松尾堂」を舞台に展開されるトーク・バラエティです。監督と私共が出演した回は、実際には11月21日(日)に全国放送されました。

 司会:松尾貴史・佐藤寛子 ゲスト:山崎貴・遠山御幸 ~星空を見上げて宇宙を感じる~ というサブタイトルで、星空や宇宙に関する想い、その魅力について語るものでした。また、スタジオに移動式プラネタリウムを持ち込んで、実演を行うというものです。このため、通常のラジオ・スタジオではなく、テレビ用のスタジオが使われました。

 早めにNHKに到着して、搬入口から中に入らせていただきました。通路には美術道具や大きなパネルなどが置かれていていました。見たことはありませんが、さながら映画の美術セットを保管する場所のようでした。

 スタジオに入って機材を設営していると、入り口付近で数名の方々が作業の様子をご覧になっていました。その中にずいぶんと背の高い方が目にとまりました。それが山崎監督でした。

 山崎監督は、その年の12月に公開された「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の撮影中の話など。私共はプラネタリウムの仕事をするきっかけとなった話などで、1時間45分の番組です。事前に放送作家さんと打ち合わせをさせていただいていたので、台本がありましたが、それはかなりラフなものです。ほとんどの部分を自由に話してかまわないような内容でした。

 途中でプラネタリウム投影の実演(かなりの短縮バージョンで)を行いましたが、その時の解説の声も放送で流れました。監督は、星や宇宙に対しても博学で、よくご存じのようでした。まるで、長野の田んぼの中に行って、星空を見てきたような感じがしたと、コメントされていました。

 その時すでに著名な方であったのに、あんなに気さくに話をされる様子に感銘を受けました。番組の中で、それぞれ好きな曲を2曲流してもらうのですが、私共がセレクトしたのは、さだまさしの「案山子」と、「椰子の実」という曲です。記憶がはっきりしませんが、監督は「ラブ・リブス(スティーヴン・タイラー)」と宇宙戦艦ヤマト」だったように思います(まちがっていたらごめんなさい)。そして、それぞれが好きな本2冊の紹介です。

 あっという間の収録でしたが、今でもその時のことはよく覚えています。緊張はしませんでした。放送終了後に、たくさんの方々から、電話やメールをいただきました。FMは音質がよいためでしょうか。とてもいい声で話をされていましたね。と言われたのがとてもうれしかったことを覚えています。

 収録の帰りに、NHKの方から、まい泉のかつサンドを頂戴しました。帰路につきながら頂戴しましたが、とてもおいしいものでした。

 放送終了後にも少しやり取りをさせていただきましたが、当時からハリウッドを意識されていたのかな、と思うようなことがありました。ハリウッドに比べれば、おそらくはるかに少人数で映画を制作され、とうとう肩を並べてしまったことに大変驚かされましたし。そしてうれしく思った次第です。心よりお祝いを申し上げます。
物忘れ
3月14日(木)
 昨日の出来事です。以下に具体的に記述します。

 花粉症の関係で、少し前にドラッグストアーに行って花粉症対策の薬などを買い求めました。その時に、そのお店で使用するポイントカードを持っていきました。カードが多くなると管理が大変です。また、レジの前で財布からカードを取り出すときに、ついでにお札などを落としてしまうリスクもあります。このため、ほとんどのカードは、モバイルカードとしてまとめてスマホの中に入れています。ただ、そのお店のものに関しては、まだそれができる状態ではありませんでした。

 昨日になって、あれ、そういえばあの時のカードは、どこに行ったのだろうと気になって探しましたが、見つかりませんでした。そもそも、いつそのカードを何のために使ったのかも忘れていました。

 いくら探しても見つからなかったので、あきらめて再発行してもらうことにしました。午後からの散歩(途中でのジョギングを含む)のついでに、そのお店に立ち寄り、理由を話してカードを再発行してもらうことにしました。カードはその場でもらうことができましたが、情報を本部に送るので、登録までに早くても1週間かかるとのことでした。ただしカードは、その日から使うことができるようでした。

 カードの件は、これでよしとして、そのまま散歩を続けました。いつもの小川のそばを通り陸橋の下まで来ると、卓球練習のための素振りを始めました。ひととおりの練習メニューをこなしたのち、今晩のご飯を少し贅沢しようと考え、回転寿司店に向かいました。

 タブレット端末で、持ち帰りのメニューからセレクトして、オーダーをして支払いを済ませて待っていた時です。ああ・・・そういえば、先程のお店で本人確認のために、免許証を見せたことを思い出したが、それが入っている場所までは、探していなかったな・・・と思い、改めて調べてみると、ドラッグストアーの古いカードが出てきました。

 あれ・・・こんなところにあったのか。・・・思い出しました。レジで支払いをするときに、後ろに多少の列ができていたため、待たせてはいけないと、ポイントカードをしまう場所を、いつもの場所ではなく、免許証の入っている場所にしまっていました。それをすっかり忘れていたわけです。

 持ち帰りのお寿司が出来上がると、受け取って、そのまま家の方に向かいました。そのときに・・・あれっ・・・そういえば、同じ店のポイントカードを2枚持つというのは、どういうことになってしまうのだろうと考え込んでしまいました。と同時に、あれっ・・・そういえば、お寿司のお箸や、しょうゆをもらっていなかったな・・・と気が付きました。店からは、すでに500m程度離れてしまいました。ワサビもなかったので、もう一度回転寿司店に戻りました。

 しょうゆ・わさび・箸などをもらう頃には、だいぶ疲れていましたので、このまま家に戻ろうと思いました。途中まで来ると、再びカード2枚持ちのことが気がかりになってきたので、最後の力を振り絞って、再び、ドラッグストアーに向かいました。

 店員の方に事情を話すと、古いカードの方から、新しいカードの方に、ポイントを移行することはできるとのことで、その場でバーコードリーダーを使用して処理してくれました。

 家に帰りついたときには、だいぶ時間が経過していました。自宅・散歩(ジョギング)・ドラッグストアー・卓球の素振りトレーニング・回転寿司店・ドラッグストアー・自宅の道順でした。いったいどのくらい歩いたのだろうと、万歩計を見ると、約18000歩、距離にして約13キロを歩いていました。休憩なしだったので、確かに疲れるなというのが、それを見た時の印象でした。

 物忘れをすると、このような無駄な体力を消費するという見本です。年を取ると、物忘れがひどくなるのは避けられませんが、努力や工夫などでそれを最小限にとどめることができるはずです。この出来事は、誠に情けないなと思いますが、これが70歳を過ぎた私共の今の姿なのでしょう。
鉛筆画3作目(龍燈鬼立像(りゅうとうきりゅうぞう)/興福寺)
3月7日(木)
 運慶の三男「康弁」が健保3年(1215年)に造像した木像で、国宝す。

 普通は四天王に踏みつけられる「邪鬼」ですが、それが立ち上がった様子をユーモラスに表現したものです。上半身に巻き付いた龍の尻尾を右手でつかんでいます。鬼彫刻の傑作とされています。

 昨年5月に興福寺(奈良市)の国宝館で、実物を見てきました。ずいぶんとひょうきんな仏像があるものだな・・・と感心した次第です。

 いずれは、何らかの形で絵にしてみたいと考えていました。鉛筆画の3作目に、この像を描きました。

 描くたびにペースが上がっているようです。約2週間で完成させました。鉛筆画で描画する際のテクニックは、次第に上達しているようですが、まだまだ絵筆のようにはいきません。

 30号キャンバスがあと1枚、手付かずですが、描く気になれないので、しばらく鉛筆画に取り組むつもりでいます。
小田原のパン屋さんと道の駅伊東マリンタウン(2月29日)
3月1日(金)
 道の駅伊東マリンタウンは、静岡県伊東市にある国道135号の道の駅です。海辺の源泉から湧き出す温泉施設が併設されています。

 天城高原で天体写真撮影を行っていた時期があります。教え子たちと一緒だったことがありましたが、その教え子たちは、朝になるとその温泉に立ち寄り、疲れをとってから帰路につくのが恒例だったようでした。

 私共はその後、より空の暗い場所を求めて、伊豆半島最南端の石廊崎で天体写真撮影をするようになったのですが、その際、復路でこの施設の温泉に入り(朝5時から営業しています)、休憩をして、レストランで魚料理のランチを食べてから帰路につくようになりました。

 最近テレビの旅番組で、魚料理を食べるシーンがよくありました。それを見ながら、久しぶりにおいしい魚料理を食べて、体を温めたいと思いました。ついでに以前から気になっていた小田原のパン屋さんに立ち寄り、評判のあんぱんを食べてみたいとも思っていました。

 道の駅伊東マリンタウンを目的地として、途中、小田原の評判のパン屋さんに立ち寄ることにしました。2月29日(木)のことです。

 そのあんぱんは、午前中に売り切れてしまうこともあるとのことでしたので、確認のために事前にお店に電話をすると、今日は予定より早く店を閉めたいので、早めに来てもらいたいとのことでした。午後から出かける予定でしたが、急きょ、午前中に出ることにしました。

 小田原のパン屋さんに行くと、パンはほとんど売り切れていましたが、あんぱん数個が残っていたので、それを全部買い求めました。滑り込みセーフといったきわどいものでした。お客様はその後もひっきりなしでした。有名なお店なのですね。

 そのまま、伊東市まで車を走らせました。既にお昼を過ぎていたので、途中のコンビニで簡単な昼食としました。

 もっと遠い場所にあるという感覚だったのですが、意外にも近く、すぐに道の駅伊東マリンタウンに到着しました。

 温泉施設に入ると、外壁塗装工事の最中でした。足場が組まれていましたが、お風呂が利用できることは、ネットで調べていたのでわかっていました。露天風呂が使用できないこともです。

 しかし、そのおかげで入浴料が通常の料金よりも安く設定されていました。ラッキーでした。

 以前にも何度か記述しましたが、私共は烏の行水です。長くても10分が限界です。もったいないことですが、それで充分でした。

 あとは休憩室で昼寝をします。先程遅いお昼を食べたばかりなので、レストランに向かいましたが、食欲がなかったので魚料理はあきらめました。お土産に干物でも買って帰ろうかとも思いましたが、購買意欲がわくような商品がなく、それもあきらめました。

 こうして、温泉につかり、予定していた魚料理はあきらめ、帰路につきました。

 家に帰ってから、あんぱんをひとつ食べてみました。半分にカットしてみると、中身がぎっしりです。皮の部分ですが、極めて薄く、どうしたらこんなに薄くできるのだろうと思うほどでした。

 生地自体も大変おいしく、もちろん中身のあんもです。今まで食べたアンパンの中ではこれが最高です。

 わずかに10分間、温泉につかるために、伊東市まで車を走らせたわけです。天気は下り坂でしたが、私共が車に乗っている時間帯は、日が差しており、穏やかでした。海岸線を走るドライブはよい気分転換になりました。

 あんぱんは、また食べてみたいと思っています。次回小田原に行くときには、あんぱんを買ったのち、その近所の魚料理店を探して、おいしい魚を食べてみたいと思っています。

 仕事で行っている岐阜県関市に比べたら、はるかに短い距離なのに、大変疲れた感じがするのは、温泉に入ったためかも知れません。あるいは花粉症の影響でしょうか。
館内放送
2月28日(水)
 今週の月曜日、2月26日夜のNHKのテレビを見ていた時のことです。番組は、芸能人2名が地方を訪ねて、その地域の人々と触れ合う内容です。ゲストに出ていたのは、紅白に出場経験のあるグループのリーダーです。スーパー銭湯などで地道に営業活動を続け、今では広く知られるようになりました。

 宮崎県えびの市が、その回の舞台でした。温泉旅館などを訪れるのですが、その最後の場面で、番組の中でお世話になった方などを含め、とある旅館の会場を借りて、即席のコンサートを開催することになります。

 時間のない中、人集めに本人が奔走しますが、その際に地元のスーパーに入り、館内放送で急きょ、コンサートの告知をする場面がありました。ずいぶんと的確な内容で、しかも慣れた感じで放送をされるものだなと感心した次第です。その積極性やお人柄に大変魅了されました。

 さて、この館内放送の場面を見ていて、思い出したことがありましたので、以下に記述します。館内放送に関しては、エピソードがいくつかあります。そのうちのひとつは、記述すると、時間がかなり経過した今でも、さしさわりがありそうな気がするので、記述を控えますが、同じくもうひとつの緊迫した館内放送のエピソードです。

 今から15年前の2009年1月26日(月)に、インドネシアのスマトラ島において、金環日食がありました。この日食帯の大部分は洋上でしたが、その最後の部分でココス島、ジャワ島、スマトラ島などを通り、ボルネオ島、セレベス島の北端などで金環日食となりました。

 私たちは、金環日食の当日、スマトラ島の南端に位置するバンダルランプンの海岸でこの日食を見ました。私たちのグループは7名くらいだったように記憶しています。現地までの飛行機には、ツアーがあと1グループと、個人で参加された方などがいました。日本からの参加者は全部で30名程度でした。

 本来、この日食ツアーは、参加者が集まらず、ツアーキャンセルになるものでした。しかし、参加を希望される皆さんが、どうしても見たいとのとこで、旅行代理店の方から、私共に連絡が入り、インストラクターとして、彼らを現地まで連れて行ってほしいとのとこでした。

 いろいろ考えましたが、旅行代理店の方とは、それまでのお付き合いと(それに独立した際、記念にシンガポールを旅行した時に、ホテルに見たこともないような豪華な果物の盛り合わせを届けていただきましたしね・・・)、そのあとのこともあるので、お引き受けすることにしました。

 出発前の事前打ち合わせをするため、東京の事務所まで行きました。旅行代理店のスタッフによると、現地で日本語の話せるガイドをつけるが、あまり期待しないほうがよいとのことでした。帰り際に、何かあったらこれで解決してほしいと言われて、現地で使用するチップ用のお金を渡されました。

 ジャワ島からスマトラ島に飛行機で移動した後のことです。空港に到着して、トイレ休憩が必要だろうと、集合場所を決めて、参加者の皆さんにトイレに行ってもらいました。参加者のほとんどは、すぐに戻られたのですが、2名の女性が予定した時間に戻ってきませんでした。不安に思いならが、待つこと1時間。それでも戻ってきませんでした。どこかで迷子になったのかも知れないと考え、参加者の皆さんにも協力してもらい、手分けして空港内を探しましたが、見つかりませんでした。

 最後の手段として思いついたのが、空港全体に聞こえる館内放送でした。現地のガイドさんにお願いして(ただし、予測していた通り日本語が日本語になっていないガイドさんでした)、空港スタッフに連絡を取り、館内放送のある場所まで連れて行ってもらいました。そこで事情を話して、放送設備を使わせてもらいました。もちろん日本語で行いました。空港全体に私共の日本語の放送が響いていたようでした。

 私共は、プラネタリウム解説者ですので、マイクを通して話をすることは、日常的なことです。緊張することはありません。2度ほど放送をしましたが、それでも2名の女性は戻ってきませんでした。

 現地のガイドさんが、女性用トイレのある場所の近くのタクシー乗り場で、その2名を見つけました。話を聞くと、集合場所がわからなくなってしまったので、自力でホテルまで行こうとしていた、とのことでした。タクシー・ドライバーとガイドさんの間でひと悶着ありそうな気配だったので、預かっていたチップをドライバーに渡して、納得してもらいました。

 この金環日食のツアーに関しては、ほかにもいろいろなトラブルがあったのですが、金環日食も見ることができたし、終わってみれば、参加者の皆さん、満足された様子でした。

 日食ツアーの参加者のグループを現地まで連れて行ったのは、この時が初めてではありません。1998年2月26日(木)にみられた皆既日食の時には、約20名の参加者のグループを、シアトル、マイアミ経由で、西インド諸島のアルバ島まで連れて行ったことがありました。この時も大変だったのですが、よい経験になったと思っています。

 今年の4月8日(月)に、北アメリカ大陸を横断する皆既日食があります。血が騒ぎますが、コロナ禍以降海外に行くことが面倒に思うようになったため、今回は参加を見合わせるつもりです。2035年9月2日(日)に北陸から関東を通過する皆既日食帯があります。皆既日食は、その時まで我慢するつもりです。・・・その時まで生きていればですが・・・。

 ちなみに、この館内放送のエピソードの時の金環日食のレポートは、こちらにありますので、よろしかったらご覧ください。

 明日、2月29日(木)は、現在使われている暦(太陽暦であるグレゴリオ暦)のうるう日です。過去に何度か記述しているので、今回は省略しますが、なぜうるう年が必要なのか、興味がありましたら、こちらをご覧ください。このブログの2020年2月19日(水)のところで「うるう年(ユリウス暦とグレゴリオ暦)と題して記述しています。
大さん橋クジラのピアノとヒーター
2月25日(日)
 2月22日(木)は、夕方から横浜の中心部に出かけました。長野県から星仲間のひとりが、横浜に用事があるということだったので、久しぶりに一緒に食事でもしようかということになったためです。

 新型コロナウイルスの感染防止の観点から、電車で行くにはリスクがあったため、今回も車で出かけました。大さん橋国際客船ターミナルに車を入れて、そこで待ち合わせたのち、中華街に行きました。

 中華街は、祝日の前日であったため大変な賑わいでした。上海料理のお店に入り、食事をしながら2時間程度話したのち、別れました。

 早めに大さん橋に到着しました。待ち合わせの時間までには、少し余裕があったため、自動販売機で購入したコーヒーを飲みながら、グランドピアノのある場所から、少し離れた場所で休憩しました。

 このピアノは「大さん橋くじらのピアノ」という名称です。ストリート・ピアノと同様、だれでも自由に弾くとができるようです。実際にはグランドピアノに似せた電子ピアノです。弾いてみるつもりでいましたが、残念ながら公開されている時間を過ぎていたため、弾くことはできませんでした。いずれはここでストリートピアノのデビューをしてみたいと思っています。ちなみに、移動式プラネタリウムの出張投影の事業は、この場所でデビューしています。

 大さん橋の屋上は、だれもが自由に散策できる24時間オープンの公園です。床はウッドデッキ仕上げになっており、見た感じは大変清潔そうで、気持ちの良い場所です。横浜の中でも、私共のお気に入りの場所のひとつです。しかし、当日は雨が降っていたため、屋上に上がることはあきらめました。

 愛称が一般公募されて、2006年に「くじらのせなか」と名付けられました。施設全体を遠くから見ると、確かに海に浮かぶ巨大なクジラをイメージさせてくれます。ここから望む、みなとみらいの夜景は大変美しいものですが、海に突き出していることにより、昼間の時間帯に行っても、横浜港の大パノラマを楽しむことができます。一方で、施設内部は柱のない大きな空間が広がっており、くじらのおなかというネーミングだそうです。なので、ピアノも「くじらのピアノ」です。

 当日は小雨の降り続く気温の低い日でしたが、久しぶりに横浜の中心部に出ることができたので、よい気分転換になりました。

 2月24日(金・祝日)に、いつものように太陽面の撮影を行っていた時です。

 太陽面の撮影時には、あるパーツのためにヒーターを常用しているのですが、撮影を進めていって、そのパーツの出番が来たので、手に取ってみると、パーツが温まっていませんでした。どこがおかしいのだろうかと、電源部から、順番に調べていきましたが、わかりませんでした。

 予備のヒーターに交換してみると、そちらは作動していたため、常用しているヒーターのどこかで断線しているのだろうと判断しました。

 撮影を終えて、ヒーターをばらしてみたら、接続部のコネクターの根元で断線していました。画像の矢印の部分です。はんだごてを使って修理しました。

 工具箱の中には、このはんだごても含めて、星空の写真撮影のための遠征中に、機材にトラブルがあった場合に備えて、考えられる限りの工具をそろえています。はんだごての電源は、ポータブル電源から得ることができます。ただ、夜間の寒い場面で、現場ではんだごてを使用するのは、時間もかかるし、作業も面倒なので、できれば避けたいものです。

 最近は、遠征する機会が極端に減ってしまいましたが、ゴールデンウィーク過ぎの新月の時期には、天の川の撮影に行きたいと考えています。

雨天・曇天の日の過ごし方
2月21日(水)
 朝から降り続いている雨は、本降りではありませんが止む気配がありません。今後の雲の流れのシミュレーションを見ると、夜から雨が強まるようです。明日の夜まで雨が降り続くような感じです。

 雨天・曇天の日は、太陽面の撮影ができないため、撮影と画像処理の時間が省略できます。時間が自由に使えるということです。一方で太陽の方も気になるところです。私たちの生活に直接的なかかわりがあるわけではないので、太陽表面の現象など、どうでもよいではないかと言われればそれまでです・・・。それを承知の上で晴れれば、太陽を見ているわけです。

 時間を浪費しているのかも知れませんが、1日中何もしないで、ぼんやりとテレビを見ているよりはましでしょう。サラリーマンをリタイヤして、年金暮らしに入ると、それまでとは違って時間がたくさんあります。その時間を何に使うかは各自の自由ですが、私共はじっとしていられない性格なので、目標を決めるとそれを着実に実行していくようにしています。ピアノの練習、卓球練習、絵の制作などが、太陽面撮影のない日の過ごし方です。

 昨日の卓球練習の相手は、高校時代にインターハイに出場した経験のある方です。全力で対応しないと互角には戦えません。年齢以上のフットワークや体の動きを要求されるので大変疲れますが、体のためにはよいと思っています。今日は、練習が休みなので、午前中、小雨の中をジョギングしてきました。

 この年になると、1日中誰とも話をしないことも多いのですが、それはそれでよいと思っています。以前にも記述したとおりです。将来に対する不安はたくさんありますが、起きてもいないことを心配しても仕方がありません。それでストレスをためこむよりも、毎日を充実して過ごすことの方がはるかに大切だと思っています。
鉛筆画2作目(金剛力士像(阿形像)/東大寺)
2月20日(火)
 スケッチブックがF6のサイズ(410mm×318mm)と、これまでに描いていた30号キャンバス(910mm×652mm)に比較すると小さく、また鉛筆で描くために黒1色です。

 かなり早く完成しました。1作目が完成したのは、2月5日(月)でしたので、15日程度で2作目を完成させたことになります。

 前回と同じく、東大寺南大門の金剛力士像(阿形像)です。鉛筆の使い方なども2作目で格段に進歩しました。練り消しの使い方もです。描き込めば描き込むほどに上達するような気がします。

 しばらくは、仏像をテーマに、鉛筆画に取り組む予定でいます。
お米
2月18日(日)
 お米がなくなってしまったため、いつもお願いしているお米屋さんにオーダーしました。これまで何度も記述していますが、食材の多くが値上がりしている関係で、お総菜を買うことはなくなりました。節約するため、できる限り食材を買ってきて、手作りするようにしています。また外食をほとんどしなくなりました。

 その代わりに、お米だけはこれまでよりもクオリティーの高いものを食べるようになりました。外食の回数が減ったのは、お米にも原因があります。外食で食べるお米のほとんどを、おいしいと思わなくなってしまったためです。

 届いたお米は、精米されたばかりのもので一目見ただけで、満足のいくものです。いつもと同じグレードのものです。そこで、これまでよりもさらにおいしく食べようと考え、土鍋を使って炊いてみました。

 出来上がったご飯を見て、あれ・・・と思いました。艶もなく、粘りもあまり感じませんし、色も今ひとつでした。食べてみると、味が今までとは異なり、あまりおいしいとは思いませんでした。銘柄も値段もいつもと同じものです。少しがっかりしてしまいました。

 もしかしたら、炊き方に問題があったのかも知れないと思い、今回は水をやや少なめにして、電気炊飯器で炊いてみました。出来上がってからふたを開けてみると、それは、これまで食べていたお米と、同じ色・艶でした。

 おにぎりにして食べてみましたが、これまでと同じく、とてもおいしいものでした。お米の立ち方・艶・粘り・甘味・コシどれをとっても合格点です。前回は、少しがっかりしていましたが、これでしばらく楽しめることがわかりました。土鍋との相性が悪かったのかも知れません。

 お米屋さんは、精米に特にこだわっているようで、お米のおいしさを極限まで引き出してくれます。そのおいしさを維持するため、保存方法については、気を使っており、直射日光の当たらない場所に、高温多湿を避けて、密閉状態で保存しています。また、味が落ちないように、一度に大量には頼まず、適量を頼むようにしています。なくなった時点でまたオーダーすれば、2日か3日で手元に届きます。

 太陽面の撮影ができない曇りか雨の日は、撮影と画像処理の時間が省略できるので、ポテトサラダ、コールスローサラダ、きんぴら、鶏のから揚げなど、作り置きができそうなものを作っておいて、あとで食べるようにしています。以前から、一通りの家庭料理は作れましたが、最近では、そのメニューを増やすことにも取り組んでいます。
春一番と好シーイング
2月15日(木)
 立春を過ぎてから初めて吹く強い南風を、春一番といいますね。日本海側で低気圧が発達して、太平洋側の高気圧から吹き込む強い南風のことです。関東地方では、今日の昼過ぎがそうでした。昨年よりも14日早いとのことです。この時期としては気温が高く、体が比較的楽でした。強い風なら昨日もそうでしたが、昨日の風は、春一番とはいわないようです。

 この影響かどうかはわかりませんが、朝太陽面を見ると、気流の乱れがとても少ない感じでした。すなわち、太陽面がよく見えるということです。大気中の揺らぎにより、望遠鏡で見る太陽像は、いつもめらめらと揺れています。この像の乱れ、すなわち像のぼけ具合の程度をシーイングと呼んでいます。日本国内の天文台において、可視光で天体を観測する場合、このシーイングの影響により、最高でも2秒角程度の解像度になることが多いそうです。

 太陽の表面に見られる粒状斑は、多角形状で太陽面全体に見えています。直径は約1000キロとされています。角度で表すとおそらく1秒角前後になるかと思われます。前述のシーイングを配慮すれば、見えない可能性が高いのですが、実際には、私共の12.5センチの望遠鏡で、シーイングのよいときにはよく見えています。

 この時期としては、珍しくシーイングがよかったのは、前述の春一番の時の気圧配置が影響していたのかも知れません。明日は再び、冬型の気圧配置に戻るとのことです。今日のようなシーイングのよい日は、天体望遠鏡の性能を充分に発揮させることができるので、クオリティーの高い画像を得ることができます。

 本日撮影した、太陽面の画像はこちらご覧ください。 
USB3.0ケーブル
2月14日(水)
 太陽面の撮影に使用しているASI294MM Proという冷却CMOSカメラは、約2年前に購入したようです。太陽面の撮影を再開したのが、2022年2月6日(日)となっていました。その時からこのカメラに切り替えたようです。それ以前は、DMK41AU02ASというカメラを使用していました。

 ASI294MM Proは天体写真撮影用に製作された電子冷却モノクロカメラです。主に星雲・星団の撮影用だと思いますが、画像をカラー化するためには、RGB3色のフィルターを使用し、それぞれのチャンネルにおいて個別に同一天体を撮影し、画像処理の時点でそれらを合成してカラー化します。解像度は8288×5644ピクセルです。

 私共は、これを太陽面の撮影に使用しています。使用している望遠鏡にもよりますが、常用しているBORG125EDで太陽面を直接焦点で撮影すると、縦横3770ピクセルに設定しても、余裕で太陽面全体が入ります。使い勝手もよく、性能が高いので大切に使用してきました。

 ここ2年間ほど、トラブルはありませんでしたが、2日ほど前から、太陽面に向けると、動画撮影時に、ソフトウエアが停止してしまうトラブルが発生しました。いろいろ調べてみると、どうやらカメラとパソコンの間の通信がうまくいっていないようでした。カメラを少し回転させただけでも止まってしまいます。

 USB3.0のケーブルが使用されています。おそらくコネクターまわりに原因があるのだろうと考え、ソケットやプラグをクリーニングしたりしましたが、状況が改善されませんでした。考えられるのは、あとひとつです。おそらくケーブル内での断線か接触不良だろうと思いました。

 購入先の天体望遠鏡ショップに連絡すると、市販のUSB3.0のケーブルと同じものであるとのアドバイスをいただきました。昨日、眼鏡店に行った折に、家電量販店にも立ち寄り、ケーブルを1本調達してきました。

 新旧2本のケーブルは、プラグの形状がまったく同じですが、カメラへの挿入口の方向から見てみると、これまでのものは、プラグの中の仕切りの部分が密閉されていますが、新たに購入したものは、開いており、その中にピンらしきものが見えています。ダメもとで購入し、家に帰ってから早速動作チェックしましたが、問題なく動作しました。

 今日の撮影で、さっそく使用しましたが、問題なく使用できました。すなわちトラブルの原因は、ケーブルだったということでした。ドライバーや、キャプチャーソフトの再インストールも想定していましたが、深みに入らなくてよかったと思っています。ちなみに、ケーブルは使用するたびに、丁寧に保管してきたつもりでしたが、使用頻度が高いので2年が限界だったのでしょう。

 この分野にとても詳しい教え子がいるので、昨日電話でいろいろとアドバイスを受けましたが、頼もしい限りです。また、元気に仕事をしているようで安心しました。

 ふだん何気なく使用している、望遠鏡をはじめとしたハードウエアですが、望遠鏡、赤道儀の駆動装置、パソコン、カメラ、ケーブルなどのいずれかにトラブルが発生すると、撮影そのものができなくなってしまうので大変です。

 太陽面の撮影は、私共のライフワークです。撮影したからなんだ・・・と思われそうですが、天体写真においては他の分野でも、そして、絵の制作でも、卓球でも、いろいろなものの取り組みは、所詮は自己満足の世界です。しかし少なくとも心の栄養にはなっていると思っています。

 上の画像は、カルシウムK線で太陽面を撮影する装置に取り付けたASI294MM Proと交換したUSB3.0ケーブルです。ちなみに太陽面の撮影では、電子冷却の必要性は全くありません。
眼鏡
2月13日(火)
 眼鏡を落としてしまったときに、レンズの縁が少し欠けてしまいました。レンズを押さえるフレームも遊びが大きくなってきたため、そろそろ変え時だろうと思いました。午後から、眼鏡店に向かいました。

 そのお店で眼鏡を作るときには、お店の上の階にある眼科で、検眼をしたのち、医師の診察を受けるようなシステムです。すべてが終わると、下の階に降りて、フレームとレンズをセレクトします。加工が入るので、眼鏡の受け取りは、来週になるとのことでした。

 眼科で受付を済ませると、待合室で名前を呼ばれるまで待機します。そのあと検眼に入るのですが、そこでも名前を呼ばれるまで待ちます。さらにその後、医師の診察を受けるためにさらに待ちます。ここまでのプロセスが終わるまでには、1時間ほどかかりました。その半分の時間は、待合室で待機している時間です。

 約7年前にも同じお店で眼鏡を作っていました。眼鏡を作るのはそれ以来です。覚悟はしていましたが、今後さらに年を重ねると、お医者さんに行く機会も多くなってくることでしょう。イライラしないで待てるようにならなくてはいけないなと思った次第です。

 今の眼鏡は、車の運転時に、高速道路上の標識がわずかにボケて見えるようになってきたかなと思っています。一方で、手元のカーナビに目をやると、文字がぼけてしまって、明瞭に読み取ることはできません。それらをスタッフにお伝えすると、標識の方が重要なので、カーナビの方はあきらめてください。と言われてしまいました。年だから仕方がないということなのでしょう。・・・わかりました。と納得して、検眼をした結果に驚きました。

 スタッフさんの言われることには、近視、乱視共に、よい方向に向かって4段(私には、4段の単位がよくわかりませんが・・・)ほど良くなっていますよ・・・。とのことでした。結果を見ると、今使用中のメガネは、度が強すぎるようですね。とのことでした。もちろん7年前もしっかりと検眼を行い、そのうえで最適のメガネを作っています。すなわちこの7年の間に、視力の改善がみられるということのようです。

 どうなっているのですか?・・・こどもの頃は、成長するにつれて次第に視力が弱くなっていく傾向にありますが、年を取ると、白内障や緑内障の症状がない限り、その逆です。・・・なるほど、よくわかりました。

 検眼用の眼鏡で、しばらく様子を見ると、今までより度が弱いので、近くも良く見えるし、また遠くもよく見えるので嬉しくなってしまいました。医師の診察の結果も良好でした。今のところ問題ないとのことでした。

 プラネタリウム解説者は、声も大事ですが、目も同様です。ドームクスリーンに投影された星空がクリアーに見えなくては解説どころではありません。これは、今の眼鏡でも問題ないのですが、新しい眼鏡では、どのようにドームスクリーン上の星空が見えるのか、とても楽しみです。
鉛筆画1作目(金剛力士像(吽形像)/東大寺)
2月5日(月)
 今は夜の11時頃です。だいぶ積もりました。窓の外を見ると、路面に5センチ以上積雪しています。

 横浜に大雪警報が出たのは6年ぶりだそうです。このブログ「星雑記」を6年前までさかのぼってみると、2018年の1月22日(月)に積雪していました。夜には上がったようですが、その翌日に雪かきをしたことがアップされていました。

 その頃ももちろん卓球練習をしていましたが、施設が休館日であったために、トレーニングを兼ねて、雪かきをしたようです。

 雪は、いま止んでいるか、小降りですが、窓からでは暗くて詳しくわかりません。

 雪のおかげで、今日はほぼ1日を絵に費やしました。途中で集中力が途切れてしまいますが、散歩も中止したので、もう一つの日課である、ピアノの練習も時間をかけました。もちろん、ピアノは毎日練習しています。・・・ただし、うまく弾けなくてイライラしてきます。

 鉛筆画の1作目の完成は、だいぶあとになるだろうと思っていましたが、作業が進んだので、完成してしまいました。修正点はたくさんあるのですが、1作目としてはこの程度でよいのではないかと思い、筆(鉛筆)をおきました。

 初めて鉛筆画に取り組んだわけですが、科学館のプラネタリウムに勤務していた頃、プラネタリウムの番組制作において、シナリオと絵コンテを描く際に、鉛筆で描いていましたので、そのような意味では慣れています。しかし、今取り組んでいるのは本格的なものです。当時とはまったく状況が異なります。

 グラデーションの出し方が、まだまだですし、もっと実物に近づけたいと思っています。修正の時には、練り消しを使うのですが、まだまだコツがのみこめていません。特に、細かい部分の修正には限界があるようで、電動イレーサーとマスキングテープの力を借りる必要があるように思っています。次回作では検討してみたいと思っています。

 鉛筆画では、描いている間に、画面が鉛筆の芯でだんだん汚れてきます。そのため、利き手(私共は左手)の下に、白紙を引いて汚れないようにするのですが、それでも限界があるようです。いろいろと難しいものだと思います。私共にとっては、アクリル絵の具の方が使い勝手がよく、色を表現できるために、自由度も高いように感じました。

 スケッチブックですが、F6のサイズ(410mm×318mm)に描いています。使用している鉛筆は、Hi-uniで硬さは6Bから4Hまでです。このほかに擦筆も準備してありますが、今回は使用しませんでした。数をこなしていくうちに、自分流のスタイルができてくることでしょう。完成した画像をアップしておきます。
ジョギング
2月5日(月)
 ここ10日間ほど、事情があり卓球練習ができない日が続きました。しばらくこの状態が続きそうです。筋肉が衰えて、体の切れが悪くなってしまいそうなのと、練習を再開するとき、ボールを打つ際に違和感を感じないように、卓球練習と同じくらいの運動量を維持しなくてはいけないと思いました。

 どのような運動法がよいか、いろいろ考えた結果、体にあまり負荷をかけない程度にジョギングを行うことにしました。私共の年齢になっていきなり始めると、腰まわりや、ひざなどにダメージを受けることがあります。若い方に比べると、骨ももろくなっていることでしょう。なので、最初は様子を見ながら始めました。会話ができて息が切れない程度の速度で、数百メートル進んでは歩く、の繰り返しで1.5キロ程度行います。

 初めのうちは、翌日に太ももなどの筋肉が痛かったのですが、徐々に慣れてきました。卓球練習であんなに体を動かしているのに、ジョギングでは、どうやら異なる筋肉を使っているようです。走る距離も延びてきており、今では1.5キロを休憩なしで、駆け抜けられるようになりました。足などの痛みも特に感じません。いきなり、このように続けられているのは、これまでの卓球練習の成果だと思っています。

 私共の近所には、㹨川(いたちがわ)という二級河川が流れています。ここは、私共の散歩コースであり、水も比較的きれいです。カワセミも割と頻繁に出てくるところで、散歩コースとしてはとてもよいところです。

 陸橋の下をくぐる場所があり、そこまで走ると、卓球の素振りをします。それ以上の距離は、いまのところ走りません。素振りは、卓球練習の感覚を失わないようにするためと、卓球で使用する部分の筋肉を維持するためです。

 サーブの素振りの練習のために、球を1個だけ持っていきます。全てを合計すると1000回くらい素振りをすることになりますが、力を入れて振っているわけではないので(実際の練習の時にも、球を打つときには力はあまり使いません。どちらかといえば、体全体で打つ感じです。)疲れることはありません。

 私共にとっては、ゲーム性のある卓球の方が魅力的なので、ジョギングが日課として定着するまでには、もう少し時間がかかると思います。頑張ってしばらく継続するつもりです。

 朝から曇り空でしたが、途中から雨が降り出しました。午後からは雪に変わりました。本格的な雪は、今シーズン初めてのように思います。詳しい天気予報を見ると、日付が変わる頃まで降り続きそうなので、予定していた用事は、明日に延期して、ジョギングも中止です。室内でできる練習に切り替えます。寒いので、午後からは部屋にこもってじっくりと絵に集中する予定です。

 SDO衛星(Solar Dynamics Observatory、太陽観測衛星)の観測画像を見ると、太陽面の東からNOAA13576という活発な黒点群が見えてきました。比較的大きめの黒点で、すでに何度も中規模フレアを起こしているので、明日以降晴れたら撮影が楽しみになってきました。
絵37作目(金剛力士像/金峯山寺 1月31日)
1月31日(水)
 取り組んできた37作目の絵が完成しましたので、アップします。昨年の4月中旬から2枚の絵に着手し、同時進行で描きました。そのうちの一枚は、すでにアップしてあります。36作目の絵は「阿修羅像/興福寺」です。このブログ「星雑記」の昨年11月13日(月)のところに制作レポートがあります。

 同時進行で描いたのが、上の絵です。30号キャンバスにアクリル絵の具で描きました。完成までに約9か月かかったことになりますが、前述したとおり、2枚同時進行でしたので、実質の作業時間としては、5か月程度でしょう。

 金剛力士像2体を前面に配し、その背景には、金峯山寺の蔵王堂の秘仏である、蔵王権現立像3体を、渦巻銀河に溶け込むようにグラデーションをかけながら描いています。前述の「阿修羅像/興福寺」の絵もそうですが、この絵も背景にもってきているのは、宇宙です。このような描き方が許されるのかどうかわかりませんが、私共は真剣に取り組んでいるつもりです。

 金峯山寺に関しては、すでに2度行っています。その蔵王堂秘仏ご本尊の特別ご開帳の時のレポートを、2022年11月21日(月)のところで詳しく記述していますので、そちらをご覧ください。絵の背景の蔵王権現立像(画面上の左から弥勒菩薩(みろくぼさつ)、釈迦如来(しゃかにょらい)、千手観音(せんじゅかんのん)像です。それぞれ、5.92m・7.28m・6.15mです)がなぜこのような怖いお顔で、青い色をしているのか、理解していただけると思います。

 この2体の金剛力士像は、金峯山寺の仁王門(国宝)に安置される5メートルに達する巨像であり、東大寺南大門の像に次いで2番目に大きいとされています。南北朝時代の延元3年(1338年)から翌年にかけて造立された木造です。

 国宝仁王門の大修理は、平成30年(2012年)に着手され、令和10年(2028年)頃に完成予定だそうです。総工費は約20億円となるそうです。その間の令和3年(2021年)2月23日(火・祝)から仁王門修理完了まで、奈良国立博物館の、なら仏像館に、この金剛力士像が展示されています。前述の蔵王堂秘仏ご本尊の特別ご開帳の折に、博物館まで足を延ばして見てきました。その巨大さと、全身にみなぎる力動感は圧巻でした。

 背景の渦巻銀河は、ハッブル宇宙望遠鏡がとらえたNGC4571という天体です。かみのけ座にあり、距離は約6000万光年です。しかしこの絵は、スペース・アートではないので、あくまでもモデルにしただけであり、原形をとどめていません。色もです。

 金剛力士像は、一般的には仁王門に置かれ、お寺全体を守るとされています。右が阿形像、左が吽形像です。阿形像の「阿」は宇宙の起源を、吽形像の「吽」は物事の終わりを意味し、2体で世界の始まりと終わりを示しているとされているようです。・・・私共は、この分野の専門家ではないので、これらの情報は、ネットで調べたものです。勘違いしているところがあるかも知れません。その時はご容赦ください。

 描くときに頭の中で考えたイメージ通りになってはいるのですが、描いているうちに、これでよいのかどうかよくわからなくなってしまった・・・というのが、描き終わった今の心境です。ディテールの部分にもう少し筆を入れてもよいのですが、描くのに疲れてきてしまったので、これで筆をおきました。

 さて、30号キャンバスは、あと1枚残っています。これに何を描くかは、すでにイメージがあるのですが、部屋の中であまりにもスペースを取るので、次回作は、スケッチブックに鉛筆画を予定しています。テーマは、仏像です。完成には、さほど時間がかかるとは思いませんので、その機会が来ましたら、アップする予定です。
ファミリーレストランのすごさ
1月30日(火)
 今日の夕食は、外食としました。本来であれば食材を買ってきて、自宅で自ら料理を作ることを基本としているのですが、今日は事情があり、外で簡単に済ませました。

 中華系のファミリーレストランに入り、ラーメンと餃子をオーダーしました。数分もしないうちに運ばれてきましたが、運んできたのはロボットです。最近ではよく見る光景ですね。ラーメンも餃子も、飛び切りおいしいとは思いませんが、価格から考えると合格点です。この価格でよくこの味が出せるなと思いました。工場から運ばれてくるものを厨房で最終調理されるのだと思いますが、それにしてもよくできています。

 最近利用する飲食店の多くは、タッチパネルからのオーダーシステムが採用されているようです。これは関市のレストランでも同じです。驚いたのは、ここでは会計時のレジまでがセルフ方式になっていることでした。セルフレジは、スーパーでよく見かけますが、まさかここでもとは思いませんでした。会計伝票のスキャン、モバイルポイントカードのスキャン、そして電子マネーでの支払いのスキャンまでが無人で行われました。

 ここまで無人化してよいものだろうかとも思いましたが、そこは、お客様を信頼するという前提なのでしょうね。もちろん、ごまかしてしまうケースなどもあるでしょうが、それもきっと織り込み済みなのでしょう。徹底した人件費の削減が背景にあるのかも知れません。私共の年代になると、ついていけない方も出てくるのではないかと思ったりしました。

 コロナ禍以降、このような非接触による、レジなどのシステムの普及が急速に進んだように思います。よいことなのだと思いますが、人々のことをお互いに信頼しあう、日本ならではのシステムではないでしょうか。海外で成立するとはとても思えません。

 今から約60年ほど前、茨城県の漁村で育った、こどもの頃の私共の地域には、食堂がありませんでした。白黒テレビが我が家に来たのは、東京オリンピックの前日でした。固定電話ももちろんありませんし、移動しながら使用できる小型の電話機は、アニメの中の未来の世界でした。今では、前述のとおりです。スマートフォンの中の、お財布携帯機能から支払いを行います。当たり前に使用するようになりましたが、こどもの頃に、このような世の中になることをだれが想像できたでしょうか。

 暮れなずむ空を見ながらの帰り道、はるか昔のことを思い出していました。
大プロミネンス
1月30日(火)
 上の画像は、太陽をHα線というフィルターを通してみたものです。肉眼で見るとまぶしくて危険ですが、私共は、太陽面の撮影に特化したいくつかの望遠鏡を使用して、出かける予定のない晴れた日は、必ず太陽面の撮影を行っています。

 太陽は、11年毎にその活動が活発化してきて極大になりますが、その時期は2025年の7月頃とされています。これに伴い黒点などの数も増えてきていますが、大きな黒点の出現は、いまのところさほどではないように思います。

 この太陽黒点には、どの黒点群かを識別するために、群番号が付けられています。最近ではNOAA(米国海洋大気庁)によってつけられた番号を使うことが一般的になってきています。

 太陽自体も私達から見ていると、太陽面の東から西に自転しているため、東から出てきた黒点は、やがて西に没して、地球から見て太陽の裏側に回り、見えなくなります。

 NOAA13559群という黒点群が、太陽面の北半球において、ちょうど西に没するところですが、活動が活発で、西縁の近くでM6.8という中規模クラスのフレア(太陽面爆発)が発生しました。SDO衛星(Solar Dynamics Observatory、太陽観測衛星)が捕らえた画像では、その現象のあとに続くポスト・フレアループと呼ばれる、幾重にも重なったループ状のプロミネンスが美しい姿を見せていました。

 このフレアの発生からは、だいぶ時間が経過しましたが、今日の撮影時に、その領域から針状に伸びる大きなプロミネンスが見えていました。これまでの経験から、このプロミネンスは、急いで撮影しないと消えてしまうだろうな・・・と思い機器をセットし撮影しました。上の画像がそれです。画面の外側まで伸びているとは思いませんでした。何枚かの撮影を終える頃には、消えてしまいましたが、現象を見ることができただけでもよかったと思っています。

 画像処理をしてみると、まわりにも噴き出しているプロミネンスが写っていました。おそらくこれらもポスト・フレアループと呼ばれる現象の名残なのかも知れません。今日撮影したほかの画像や、上の画像のデータなどは、こちらからご覧ください。

 太陽活動がピークに達する前後数年間は、このような現象から目が離せません。
仮設プラネタリウム(関市まなびセンター 岐阜県関市 1月20日から21日)
1月22日(月)
 1月20日(土)から21日(日)にかけて、岐阜県関市の、まなびンセンターにおいて、直径12メートルドームに、メガスターゼロ投影機を設営して投影を行いました。

 昨年の12月以来の約1か月半ぶりの投影です。そして、今回の投影が令和5年度の最後の投影となります。

 いつものように横浜を夜出発して、日付が変わるまで走り続け、東海環状自動車道の美濃加茂サービスエリアで夜明けまで仮眠をしました。投影前日の19日(金)に設営を行い、作業を終えるとそのまま宿泊先のホテルに入りました。

 ホテルに入るため、駐車場に車を止めた際に、車の後方部の下の方から異音がしたので、助手席側のリアタイヤを確認したところ、タイヤの接地面の中央部付近の溝に木ネジが刺さっていました。

 気がつかなかったら、帰りの高速道路において、タイヤがパンクしてしまったことでしょう。(高速道路におけるタイヤのパンクは1度経験済みです。既に削除してしまった「プラネタリウム雑記」にこの時のレポートを掲載してありました)今の車は、スペアタイヤを積んでいない車であり、しかもハイブリッドですので、高速道路上でのパンクは大変厄介です。

 木ネジは、手で簡単に抜ける程度の刺さり方でしたが、念のため、近くのディーラー系のお店に持ち込みました。本来そのお店では、私共の車は修理のできない車種でしたが、事情を話したら、対応をしてくれました。

 タイヤを外して、目視で確認すると、溝に木ネジの先端の跡がついていました。深さは2ミリ程度でしょうか。せっけん液を噴霧して、ガス漏れ(タイヤには窒素ガスを入れています)がないことを確認していただきました。ネジはタイヤの内側まで貫通している様子ははく、このまま走行して大丈夫だろうということでした。

 投影の方は、前半が当夜の星空解説、後半部がテーマ解説です。テーマは「探査機の活躍」と題して解説を行いました。JAXAの小型月着陸実証機「SLIM」が20日に月への軟着陸を成功したタイミングでの、テーマ解説でしたので、タイミングとしては良かったと思います。オリジナルCG動画や静止画をたくさん使用して解説しました。どちらかといえば、解説少なめで、映像をたくさんご覧いただくようなスタイルとしました。

 2日間とも天気が悪く、20日夜の、市民天体観望会での参加者は少ないだろうと予想していました。プラネタリウムの投影のみでしたが、予想に反して、晴れている日の半分程度の参加者が来てくださったので、うれしく思いました。

 21日(日)の夜遅くに横浜に戻りました。高速道路は、タイヤを気にしながら走行しましたが、まったく問題ありませんでしたので、このままタイヤの様子を見ながら、走り続けるつもりです。タイヤは、はずした際に摩耗具合をチェックしましたが、今のところ交換するレベルにはありませんでした。車の走行距離は、すでに15万キロを超えています。エアサスペンション4本は、すでに交換済みですが、なるべく早い時期に足回りのブッシュ類を交換する予定でいます。

 前述したとおり、今年度最後と投影となりました。1年間を振り返ると、特に大きなトラブルもなくここまで来れたので、ほっとしているところです。常連の観客の皆様と、たくさんの交流ができたことが何よりの成果でした。

 画像は、市民天体観望会開催前の、入口から見たプラネタリウム室内の様子です。
15年8か月
1月17日(水)
 下で記述したとおり、1月1日(月)から、体調を崩してしまいましたが、その後は元気になって、日常の生活を取り戻しました。この何気なく過ぎていく日常の生活がどのくらい大切なのかは、最近では特に強く感じることです。

 関市に提出する書類の準備で、税務署に行ったり、区役所に足を運んだりと、このところ忙しくしていました。一方で、この時期の横浜は晴れる日が多く、太陽面の撮影も大変です。気流が悪いので拡大撮影はできませんが、太陽面全体の記録だけでもと、晴れれば毎日撮影しています。・・・だから何だと言われてしまいそうですが、所詮は自己満足の世界です。

 提出する書類に、個人事業者として何年が経過したかを記述する欄があるのですが、計算してみたら、15年と8か月が過ぎていました。その間に、いろいろなことがありましたので、よくここまで続いたものだと思っているところです。

 立ち上げ当初は、70歳を過ぎてまで、プラネタリウムの仕事に携わっているイメージは、ありませんでした。今は、行けるところまで行く・・・。と思っています。

 企業の生存率データというものがあるそうです。調べてみると、起業して5年後で15パーセント、10年後では6.3パーセントになるそうです。一般的に言われていることですが、起業した9割が失敗するという噂は、あながち嘘とは言えないように思います。

 ちなみに、私共は、起業したことを成功したとは思っていませんが、一方で失敗したとも思っていません。もっと利益を上げるやり方があったのかも知れませんが、今のやり方が、私共の身の丈に合っていると思っています。正解がどこにあるのかはわかりません。

 起業した当初は、仕事がなく、社会から取り残されたような感じでした。それまでのサラリーマン生活から、環境が激変したため、理由もなくイライラしたり、自分自身は何の役にも立っていないのではないかと思ったりもしました。

 このような感情の変化は、定年退職をされたサラリーマンの多くの方々が経験することだと思います。環境の激変に慣れるまでには、約1年ほどかかったように思います。私共は、職場を早期退職しましたので、55歳の時のことでした。

 年を取るにつれて、孤独を感じるようになりますが、私共の性格としては、その分、絵などにじっくりと取り組めるので、悪くないと思っています。積極的に知人などに連絡を取ることはありませんし、地域に出て人とつながりを持つこともありません。

 小説家であり随筆家でもある著名な方が、だいぶ前にNHKテレビで、老後の生き方についての話をされていました。聞き入ってしまいました。

 人生50歳を過ぎたら、登山でいえば下山だそうです。身のまわりを整理する断捨離についても触れていました。必ずしも断捨離はよいことではない。ある程度の年になったら、前を向いて進むのではなく、後ろを向いて、その頃を思い出しながら生活することも必要。身のまわりの品々に触れながら、あの頃は、こういうこともあった。あんなこともあった・・・と思い出すことも大切だ。とのことでした。

 また、周りにいくら人々がいたとしても、その中でも孤独を感じるようになるから、孤独感を味わうことも大切。・・・パソコンの前で仕事をしながら聞いていましたので、この程度しか覚えていませんが、なるほど、そのような考え方もあるのかと、感心した次第です。さすがに著名な方は、考えることが違うなと思いました。前述したとおり、私共は、孤独感を楽しんでいるのかも知れません。

 人生のカウントダウンをしながらも、日々を大切に生きること、そして、体の健康を保ちながら、できるところまで仕事を続けること、というのが最近の日常の過ごし方のベースになっています。

 このブログの更新の間隔があいてしまって大変申し訳ありませんでした。太陽面の撮影画像だけは、頻繁にアップしていますので、よろしかったらご覧ください。
2024年を想う
1月4日(木)
 今年も私共のホームページをどうぞよろしくお願いいたします。

 1月1日(から体に寒気を感じるようになりました。微熱も少しあるようだったので、そのまま床に入り、4日(木)の午前中まで寝込んでしまいました。お昼頃にやっと起きられるようになったので、このブログ「星雑記」を更新しています。2020年の正月にも同じようなことがありました。正月になると、数年おきにこのようなことになるのは、気が緩むせいなのかも知れません。ふだんから気をつけてはいるのですが・・・。

 途中で起きてみたら、大変なことが起きていたので、驚きました。まさか年明け早々からこんなことが・・・。

 能登地方を震源とする大規模地震により犠牲となられた方々に、心よりお悔やみを申し上げるとともに、被災された方々にお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

 さまざまなことが未解決のまま、今年も辛抱しながら月日が過ぎていくのかも知れませんね。そのような状況の中にあって、自らに何ができるかをよく考えながら先へ進むことが大切なのだろうと思っています。

 その一方で、先へ進むということは、すでに、古希を過ぎた私共にとっては、残された時間がさらに少なくなっていくことを意味しています。悔いのないように、1日1日を大切に過ごさなくてはいけません。寝込んでいるようでは情けないと思っています。

 プラネタリウムの仕事にかかわるようになってから、今年で52年目に入ります。半世紀にわたりこの仕事に取り組んできました。さすがにこの年になると、さらなる高みを目指すということもなくなってきました。解説時には、これまでにもまして、まったく何も考えずに、解説そのものに集中して取り組むようになりました。

 手書きイラストは、37目の途中で中断しています。正月過ぎたらすぐに再開するつもりでしたが、体調がいまひとつなので、考えていたよりもスロースタートになりそうです。

 今年もこのイラスト制作を中心に日々を過ごすことになります。そのほかの時間は、体を鍛えるために使っています。近くの公共施設において、卓球の練習を今年も継続するつもりです。出かける予定のない日は、朝、太陽を撮影して、それからイラスト制作、卓球、そして、新月期になると、天体写真撮影(ただし、出かける頻度はこれまでより少なくなるでしょう)、というパターンが、ここ数年間の日々の過ごし方です。新たに加わったピアノの練習ですが、2曲目の途中まで両手で弾けるようになりました。今年中に3曲を弾けるようになりたいと思っています。

 今年の目標というものは、特にありません。健康に気をつけながら、上記の取り組みを継続するだけです。日々の何気ない時間が、とても貴重であるように思っています。

 下の画像は、先程スマートフォンで自宅の外から撮影した、今日の富士山です。

  過去の星雑記
  令和5年(2023)年7月から12月

  令和5年(2023)年1月から6月

  令和4年(2022)年6月から12月

  令和4年(2022)年1月から5月

  令和3年(2021)年8月から12月

  令和3年(2021)年1月から8月

  令和2年(2020)年8月から12月

  令和2年(2020)年1月から7月

  令和元年(2019)年10月から12月

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  平成31(2019)年4月から6月

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  平成30(2018)年9月から12月

  平成30(2018)年4月から8月

  平成30(2018)年3月から4月

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  平成29(2017)年11月から12月

  平成29(2017)年7月から11月