45キログラム
7月7日(月)
 今日は朝から曇っていますので、太陽面の撮影はおそらくお休みです。海岸線特有の霧が出ていますが、窓を開けると、冷たい空気が部屋に入ってくるので、暑くはありません。それでも昨日は、暑く感じましたが、その日だけです。あとは暑さ知らずです。この夏はまだエアコンを使用していません。

 さて表題の数値ですが、これは、私共が入院しているときに測定した体重です。その数値を聞いたときには衝撃的でした。そこまでやせてしまったのかとびっくりした次第です。いくら私共が70歳をとうに過ぎたとはいえ、この数値はあり得ないな・・・と思った次第です。10キロ近く痩せてしまったことになります。

 入院中は、点滴の管が3本、そして尿道にも1本管を通され、身動きができない状態でした。寝返りを打つにも管が邪魔して一苦労でした。骨と皮だけです。筋肉はすべてそぎ落とされてしまった感じでした。

 退院した直後に、ショッピングモールを歩いていた時です。退院前にも履いていたズボンを履いていたのですが、歩いている間に床までずり落ちてしまい、恥ずかしい思いをしました。今もベルトをしないと落ちそうです。

 入院前から食欲がなく、入院中も食事と水分量が徹底的に管理されました。ただし、食欲がないので、病院の食事は食べることができませんでした。栄養士さんが2日に1度くらいの割で、病室に来られて、何が食べたいかを尋ねます。アイスクリームのようなさっぱりしたものと答えたら、夕食に本当にアイスクリームを出してくれました。・・・しかし、それも途中で飽きてしまいました。それは市販品の約半分の量です。そして、夕食はそのアイスクリームただひとつだけでした。それで充分でした。

 退院してから約1か月が経過しようとしています。今は食欲もあり、逆に抑えるのが大変です。医師は、太らないようにと指示を出されましたが、さすがに45キロでは生活ができないので、徐々に体重を増やしています。水分量も制限していますが、夏の暑い時期の制限はかなり厳しいものです。自分の体のためです。

 次の通院の時には、医師にもう少し水分を増やしてよいかどうかを尋ねるつもりです。一時は危険な状態が続いていたので、よくなりつつある今の体調を考えれば、病院のスタッフの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

 すでに日常の生活に戻っています。それがどれほどありがたいものか、入院した後ですから実感しています。退院後に取り組み始めた鉛筆画が完成しましたので、明日以降にアップします。
仮設プラネタリウム(関市まなびセンター 岐阜県関市 7月5日から6日)
7月6日(日)
 2日間無事に投影が終わったと聞いて、ほっとしました。7月5日(土)から6日(日)にかけて、岐阜県関市の、まなびセンターにおいて、直径12メートルドームにメガスターゼロを仮設して、投影がありました。

 投影後半のテーマ解説は「夏の星座と七夕伝説」そして、市民天体観望会の観望対象は、「月齢10の月を見よう」となっていました。ただし、投影を行ったのは、私共ではありません。施設の先生です。観望会の参加者は、多めだったようです。

 私共は、退院して間もないので、はるばる関市まで車を走らせて、投影ができる体ではありません。投影後半部のテーマ解説、そして市民天体観望会のコンテンツは、事前に制作して施設の方にお送りしておきました。それをベースにして、解説を行っていただいた次第です。

 投影を担当してくださった先生は、いつも私共の投影を熱心に見てくださっている方で、この方ならお任せしても大丈夫だろうと、ぜひにと、お願いしました。ただ、本人にとっては、相当なプレッシャーだったろうと思います。

 真っ暗な中で、ドームスクリーンを見上げながら、時間を気にしつつ、矢印ポインタやパソコンを操作し、星座絵投影機のスイッチを操作しながらです。最新のプラネタリウムのハードウエアであれば、全てが全自動です。解説者は、自らのタイミングでCUEボタン、あるいはマウスをクリックしながら進めればよいので、解説に集中できるでしょう。

 まなびセンターでの投影というのは、フルマニュアルといってよいでしょう。解説内容をマスターするだけでも大変です。その方なら、慣れればきっと上手に解説されるようになると思っています。

 プラネタリウムの解説で、一番大切なことは、話術のテクニック等ではありません。私たち解説者に求められるのは、天文学の難しい話を、やさしくかみ砕いて、観客の皆さんに理解していただくことです。ただし、こどもさんだからといってなめてはいけません。低学年の児童ですら、宇宙に関することは、かなり知っているのです。その興味をさらに伸ばしてあげるように解説しなくてはいけません。

 しかしながら、最も大切なことは、そのようなことではないのです。後輩の解説者たちには、それを教えたことはありません。時間がかかってもよいから、自分でつかみ取りなさいと説明してきました。

 私共は、ある年代に、その最も大切なこととは、こういうことかということを学びました。誰かに教わったわけではありません。それ以降も、さらなる高みを目指して、これまで精進してきました。しかしそのうち、到達点などないことに気がつきます。そして今は、おそらく登山でいえば、頂上をいつの間にか過ぎて、下りに入っているはずです。

 最後まで下れればよいのですが、途中で力尽きて倒れてしまうのかも知れません。それでは、はなはだ不本意ですね。はやくよくなりたいと思っています。次に通院するときに、医師にいつ頃現場復帰してよいのか、聞いてみようと思っています。・・・何を馬鹿なことを・・・と叱られそうですね。

 常連さんの中には、心配してくださる方々もいらっしゃったようです。本当に申し訳ないと思っています。今回は、施設のスタッフの皆さんや、地元の教え子が気を利かして、動いてくれたので、大変助けられました。極力早い時期に現場復帰できればと思っています。・・・このまま引退するわけにはいきません。
7月3日の太陽面
7月5日(土)
 6月28日(土)頃から2日間にわたって、太陽の表面の北半球西のリム(縁)に大きなプロミネンスが見えていました。このプロミネンスとは関連性がないと思われますが、7月3日(木)にも、同じく北半球の西リムの低緯度に大きなプロミネンスが見えていました。

 このプロミネンスは、高さが約40万キロですが、幅が広く、画像処理してみると写野からはみ出していました。ずいぶん幅の広いプロミネンスだなと思っていましたが、世界時の4時30分頃(日本時間13時30分頃)から噴出が始まり、しまいには太陽の直径分くらいの高さまで行って四散したようでした。

 私共が撮影したのは11時40分過ぎでしたので、噴出の様子は見ることができませんでした。ずっとモニターしていることもできないので、そのような場面をとらえるのは、まれです。

 太陽面の黒点の状況は穏やかですが、Hαで見た太陽面は、激しいので目が離せません。ちなみに、この日の東側のリムにおいて撮影したプロミネンスも、同じ頃に噴出したようでした。このプロミネンスは、眼視で見ると空中に浮かんでいるように見えたのですが、画像処理したら、太陽面とつながっていました。晴れた日に、毎日見ていないと、何があるかわかりません。これが太陽面の撮影の魅力なのかも知れません。この日の画像は、こちらからご覧ください。

 今日と明日は、関市まなびセンターの投影日ですが、今回はお休みさせていただきました。2012年の5月から始めて以来、13年が経過しましたが、お休みさせいただくのは今回が初めてです。状況が状況なので、仕方がありません。施設の先生に投影を代わっていただきました。慣れない解説は、大変だと思います。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 8月の投影をどうするかは、私共の体調も含めて様子を見ているところです。常連の皆様はじめ、施設利用者、関係者の皆様には、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。
太陽面の撮影状況
6月30日(月)
 私共の撮影では、少なくとも6月28日(土)から29日(日)の2日間、太陽面の北半球西側のリム(縁)に巨大なプロミネンスが見えていました。目測で高さは約50万キロメートルです。地球の直径の約39倍の高さです。

 なぜ目測ができるかというと、若い頃に使用していた20センチ屈折望遠鏡(五藤光学製)には、8センチの屈折望遠鏡が同架されており、そこにプロミネンス・アダプターを取り付けることができました。当時もこのアダプターは、大変高価でしたので、簡単に入手できるものではありませんでした。この装置に付属していたのが、プロミネンスの高さを測定するスケールです。毎日観測することにより、高さを測定する感覚が身につきました。

 ただ、当時のプロミネンス・アダプターは、半値幅が広く、ダークフィラメントまでは見ることができませんでした。約50年が経過した今、自らの装置でダークフィラメントまで見ることができるようになるとは、夢にも思いませんでした。

 さて、その巨大なプロミネンスは、今日の撮影時には、なくなっていました。この1日間のどこかで、宇宙空間に吹き上がったのか、あるいは太陽面の裏側に回って見えなくなったのかは、定かではありません。

 いずれにしても、とらえることができてよかったのですが、欲を言えば、気流の状態がもう少し安定していたら、さらに解像度の高い画像を得られたのではないでしょうか。

 今日の太陽は、黒点は多いのですが、どちらかといえば穏やかです。この時期は気流がよく、解像度の高い画像を得やすいのですが、その中でも、今日は、今シーズンの中では、ベストの気流の状態でした。大きな黒点が出ていないのが残念です。

 晴天の日が数日続くと、さすがに撮影するのが疲れてきます。少し休ませてほしいと思いますが、それでも晴れれば望遠鏡に向かいます。赤道儀の調子も良好です。私共が撮影しなくとも、世界中の誰かが撮影しているので、だから何だという話です。今では、プラネタリウムの解説用に使用する太陽の画像のストックには、不自由しません。撮影する目的すら、失われつつある状況です。

 オリジナリティーを発揮できるとすれば、ハードウエアの特性を生かした高解像度の画像の取得と、画像処理のテクニックでしょうか。しかし、世界中には、上には上がいます。きりがないですね。

 そこへ行くと、絵の世界は、オリジナリティーを発揮しやすい分野だと思います。鉛筆画も再開しました。しばらくの間は、この鉛筆画に取り組むことになるでしょう。

 太陽面の撮影に関してもそうですが、何もしないで一日を過ご過ごすよりは、体力も頭も使う太陽面の撮影は、少なくとも老化の防止には役立っていると思います。・・・とはいっても、救急車で運ばれるような状態では、それもあてになりませんね。
退院後の状況
6月25日(水)
 退院したのが6月12日(水)のことでした。以来、今日までで13日が経過しました。すっかり忘れていたのですが、入院時に使用したパジャマ等の請求書が届きました。今日、近くの郵便局に行って支払いを済ませてきました。

 入院の費用も含めると、結構な出費でしたが、仕方がありません。このようなときのために、今まで貯蓄をしてきたのですから。それでも私共の年齢では、検査等が多かった割には、安い方なのでしょう。

 退院直後は、サポートしてもらわないと、歩くことすらできませんでしたが、徐々に筋力も回復してきました。今も体に負荷をかけないように生活していますが、だいぶ本来の行動ができるようになってきました。

 食欲も出てきたので、最近は食べたいと思うものが、退院時よりも少なくなりました。それでも、その時点で思っていたものは、通販で取り寄せてたりしています。最近では、宮崎県日南市名物の「おび天」を取り寄せました。日南市飫肥地区の郷土料理です。魚肉練り製品で、あげかまぼこに分類されます。

 新鮮な魚のすり身に、手作りの豆腐と黒砂糖、味噌に秘伝の出汁を合わせて揚げた独特のてんぷらです。若い頃、宮崎市でプラネタリウムの仕事をしていた際に、日南市を訪れるとよく食べていました。

 私共が休みの日には、日南高校の天文部の生徒たち数人が、私の自宅を訪ねてきて、話をして帰ることがよくありました。帰りが大変なので、帰りはいつも車で彼らを送りとどけていました。夕方の海岸線のドライブは、とても気持ちのよいものでした。そのうちのひとりは、現在、東京で暮らしており、今でも交流があります。入院中は、励ましてもらいましたので、とても心強かったです。

 ほかにも、星仲間で心配してくださる方がいて、感謝しています。埼玉県の高等学校の先生からも、だいぶ励まされました。業界の後輩などもです。ありがたいことだと、つくづく思いました。

 車の方ですが、運転してもよいという許可をいただきましたので、先日動かしてみました。近所に限定しています。17万キロ以上も走っているのに、とても滑らかです。たぶんこれが最後の車になるでしょう。20万キロ以上走っても問題なさそうです。

 ピアノの方ですが、忘れてしまった部分は、いまだにクリアできていません。一度覚えたところを、再度覚えるのが馬鹿らしいという気持ちが先に立ってしまうからでしょう。これではいつまでたっても同じ状況なので、最近は少し真剣になってきました。鉛筆画もそろそろ再開予定です。

 お取り寄せの通販ですが、今は、シュウマイを取り寄せていることろです。まだ到着していませんが、楽しみにしています。車の運転も徐々に距離をのばし、来月のどこかで横浜に出ようかと考えています。
太陽面撮影機材
6月22日(日)
Hα太陽面を撮影する機材です。望遠鏡はアメリカ製です。ダブルスタック(Hαフィルターを2枚使用するという意味です)仕様に改造してあります。
カルシウムK線モジュールで、カルシウムK線で太陽面を撮影するときの接眼部です。赤いカメラの上が、モジュールです。
撮影中のパソコンのモニターです。4Kのモニターを使用しています。画面がよく見えるように段ボールで、まわりを遮蔽してあります。
白色太陽像の撮影の様子です。鏡筒TOA150B 赤道儀PENTAXMS-55i(自動導入改造機) カメラASI294MM Pro
手前が、白色太陽像の撮影機材、奥がHα太陽画像の撮影機材です。
通院
6月22日(日)
 昨日が夏至でしたので、今日の太陽面撮影では、鏡筒がだいぶ上の方を向いていました。気流の状態は、今の時期としてはさほどよいとは言えませんでしたが、それでも解像度の高い画像を得ることができました。赤道儀(PENTAX MS-55i自動導入改造機)は安定して動作しています。

 昨日は退院してから9日ぶりに、外来の患者として病院に行きました。午前9時前には病院に到着したのですが、全てが終わったのは12時過ぎでした。そのほとんどが待ち時間です。病院は、待たされる覚悟で行かなくてはいけませんね。せっかちな性格の私共には、それでも限界に近かったです。帰りに、いろいろ用事を済ませたかったのですが、最小限にとどめて戻ってきました。大変疲れたというのが率直な感想です。

 最後に先生から、今回の検査結果について、これまでのデータや画像と比較して、話がありました。入院中にも聞いていた話が多かったのですが、今回は、動画や静止画、そして数値データを具体的に見せていただきました。

 どうやら、救急車で運ばれたときには、私共は三途の川の畔まで行ってしまったようでした。今回、具体的にデータを見せていただいたことで、冷や汗が出てしまいました。かなり危険な状態だったようです。

 そういえば入院中に、他界した父や母が何度か夢に出てきました。なんでこんな場面でと思っていましたが、まだこちらの世界に来てはいけない・・・ということだったのでしょう。ある程度覚悟はしていたのですが、退院できて本当によかったと思っています。

 体調は、緩やかにですが、よくなっているということでした。ただ、私共の年齢ですから、完全に元に戻るということでもなさそうです。今日も太陽面の撮影を行いましたが、体に負荷をかけないように気をつけながら、今後も行いたいと思っています。

 エコー検査をしてくれた先生が、私共の元気になった様子を見てびっくりされていました。少し雑談をする時間がありましたので、入院中の対応についてお礼を申し上げるとともに、私共の職業について話をしました。「どうりで、穏やかで丁寧な話し方をする方だな・・・」と思っていたそうです。うれしく思いました。

 病院も含めて、日頃接する皆さんのほとんどは、私共よりも年齢の低い方々ばかりです。しかし、それでも私共は、極力ため口などは使わないようにしています。人それぞれに能力を持っているので、それに敬意を払うつもりで、あくまでも謙虚で接したいと思っています。

 それにしても、この地域の皆さんは、話の仕方に共通の特徴があります。もちろん、私共もそのひとりなのでしょう。入院してよくわかりました。
太陽面撮影の再開
6月20日(金)
 体調が悪くて中断していた、太陽面の撮影を再開しました。体に最も負荷がかかるのが、TOA150Bという屈折鏡筒の上げ下ろしでした。赤道儀をPENTAX MS-55iに替えてから、鏡筒の上げ下ろしはやめることにしました。赤道儀の不動点までの高さが、今までよりも高く、20キロ近くもある、鏡筒を上げ下ろしするのが不可能になったためです。私共の体重も減ってしまったので、なおさらリスクがあります。

 鏡筒は現在、赤道儀に載せっぱなしです。ただし、雨に打たれても大丈夫なように、TeleGizmosの望遠鏡カバーをかけており、また、対物レンズも湿気が入らないようにガードしています。赤道儀架台も含めて、使い終わると必ず、から拭きするようにしています。海が近いために潮風の影響を避けるためです。

 鏡筒を上げ下ろししなければ、体には、さほどの負荷がかかりません。このところ天気も良いので、本来は梅雨明けにと考えていた撮影を前倒ししました。終わってみれば、たいした負荷もかからないので、体調が悪くならない限り継続できるでしょう。

 久しぶりの撮影で、戸惑うことも多く、いつもよりもプラス1時間近く時間を費やしてしまいましたが、慣れれば徐々に短縮できるでしょう。赤道儀もやっと真価を発揮する状態になりました。脱調はいまのところありませんが、そもそもパワーがあるので、脱調はしないと考えています。とても安定して動作しています。また、この鏡筒を支えるには十分な強度であり、接眼部を触って揺らしてもびくともしません。

 さて、円安に伴い、日頃から使用しているHα太陽望遠鏡やカルシウムK線モジュールは、いったいいくらくらいするのだろうと、調べてみて驚きました。とんでもない価格になっていました。これでは、太陽面撮影のために、これらの装置をそろえるのは大変だなと思った次第です。

 幸いなことに、Hα太陽望遠鏡のブロッキングフィルターなどは、3本いつでも使える状態で所有しているので、いまのところ劣化の心配はいりません。また、カルシウムK線モジュールは、多少の劣化がありますが、撮影には全く影響しないレベルです。撮影ができなくなるまで、これらのハードウエアをメンテナンスしながら、大切に使わなくては、と思った次第です。

 本日撮影した太陽面の画像は、こちらからご覧ください。久しぶりに撮影したので、Hα太陽望遠鏡のチューニングが甘かったようでした。
ピアノ練習
6月19日(木)
 21日間も入院していた間に、すっかり忘れてしまいました。記憶を頼りに、弾き始めましたが、途中でどうしても弾けない場面に出くわしました。2曲ともです。今まで何のために練習してきたのだろうかと、大変悔しい思いをしています。

 解決策を調べてみましたが、よくあるパターンらしく、その部分の楽譜を見ながら、ゆっくり練習するのが近道だそうです。楽譜は読めないので、その部分の動画を見返しながら、進めることにしました。右手は覚えているのですが、左手の部分がうる覚えです。このようなことになるとは思ってもいませんでしたが、仕方がありません。

 急ぐ理由もないので、ゆっくりと入院前の状態に戻したいと思っています。

 パソコンのメールもサーバーに溜まってしまったようですので、削除するのには時間がかかりました。日常生活から離れると、元に戻すのが大変です。
緊急入院
6月18日(水)
 体調の不良に関しては、これまでにも記述してきたとおりですが、とうとう最悪の事態になってしまいました。滞在先の茨城県ひたちなか市の家から、救急車で運ばれたのは、5月21日(水)の深夜のことでした。

 救急車の中では、対応してくれる病院を探すのに苦労していたようですが、最終的には日立市の病院に搬送されました。搬送されるまで、救急車のベットの上でしたが、その時間はだいぶ長く感じました。

 病院に到着すると、さっそく診察が始まりました。レントゲン撮影などでさまざまな検査が行われました。医師の判断で、そのまま入院となりました。退院したのは、6月12日(木)のことです。このブログ「星雑記」の更新ができなかったのは、入院している間に何もできなかったためです。

 それ以前から食欲がなかったことと、入院してから徹底した食事と水分量の管理が行われたため、入院前に比べて、体重が10キロ近くも減ってしまいました。退院してから2日後に風呂に入ったのですが、鏡で自分の体を見て、あまりの激やせぶりに驚いてしまいました。

 病名を具体的に記述しませんが、大切な内蔵系の病気です。手術を覚悟しましたが、医師の判断で薬での治療となりました。おそらく手術に対応できない体になってしまっていたのでしょう。薬での治療が開始されました。21日間も入院したために、体力も気力も限界に達してしまいました。

 医師に退院を打診したところ、その数日後に退院となりました。体調が戻ったわけではなく、これからは外来として、定期的に通院することになります。

 入院するのは、こどもの頃以来です。そこで体験することの多くが初めての経験でした。現在は、体力を徐々に元に戻しています。また、食欲も少し出てきました。食事が制限された入院中、頭の中は、食べ物のことでいっぱいでした。あれも食べたい、これも食べたい・・・。ただ、実物を見ると、急に食欲がなくなってしまいます。今は、そのようなことはなく、徐々に食べられるようになりました。

 ズボンはベルトをしないと、ずり落ちてきてしまいます。ここまでやせてしまったのかと思っています。急激に太らないように気をつけながら生活をしています。

 庭に設置してある望遠鏡ですが、20日間以上、野ざらしにしたので(ただし、TeleGizmosの望遠鏡カバーをかけておきました)心配でした。退院したその日の夕方にチェックしてみましたが、雨に打たれた割には、光学系も赤道儀もきれいな状態でしたので、一安心です。何しろ屈折鏡筒も、赤道儀架台も、きわめて貴重品であるために、大切にしないといけません。

 現在は梅雨の中休みに見入っているようです。ここ数日間よい天気です。部屋から、動かすことのできない望遠鏡を恨めしく眺めています。もう動かすのは無理かと考えていましたが、体力が徐々に戻ってきているので、考えが変わりました。おそらく、梅雨明け後に、体に無理のない範囲で太陽面の撮影から再開することになるでしょう。

 車のことも心配でしたので、退院したその日に、エンジンをかけてみました。一発で始動したのでバッテリーは、大丈夫でした。車の運転はしばらく見合わせるようにとの指示ですので、当面の間は、定期的にアイドリングしながらバッテリーの充電を行うことにしています。本来は、近所を一周して、車全体を滑らかな状態で維持したいのですが、今はそれができません。また、誰かに運転を頼めるような車ではありません。車が大きすぎて(乗用車ですが、車種の末尾にLがつく、全長が5メートルオーバーのロングバージョンです)、運転には多少のテクニックが必要です。ほかのドライバーでは、ボディーなどをこすってしまうリスクがあるためです。

 退院3日後から、ピアノに向かいましたが、弾けなくなっていました。今まで何のために練習してきたのだろうかと思っています。費やした時間を考えると、あきらめるわけにはいかないので、忘れたところを、再度動画でチェックするつもりでいます。時間がかかる作業です。弾けるようになったとして、何がどうなるわけでもありません・・・。

 鉛筆画の方ですが、中断したままです。まだ描く気にはなれません。そのうち意欲が出てくるでしょう。描きたくないときに描いても、よい作品にはならないと考えています。

 関市まなびセンターでの投影ですが、次回は7月5日(土)と6日(日)です。それまでに車の運転ができたとしても、岐阜まで走るのは今の状態では無理があるので、施設と相談して、対応策を考えてあります。すでにその方向に向けて動き出しています。ひとつだけ確実なことは、少なくとも7月の投影日に私共が解説に入ることはないということです。常連の皆様には、大変申し訳ありません。

 さて、今の体調を配慮して、この先どのようにして生きていけばよいのでしょうか。人生の終わり方を模索しながら、それまでできるだけのことをするということになるのでしょう。年老いたプラネタリウム解説者の、最後の生きざまに関して、今後、この「星雑記」で考え方や日頃の行動などを記述していくつもりです。最後の悪あがきです。ただし、更新の頻度は少なくなるかもしれません。ご迷惑をおかけします。

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